2018年9月のれいこん通信はスピリアルについてです。
最近、『スピリチュアル』という言葉をよく耳にするようになりました。辞書には精神的な、霊的な、宗教的なとういことが書いてあります。目には見えない、科学的には立証されない現象や物を指します。その対極にある言葉が『リアル』。その意味は現実、現実的、見えたままとなります。この対極の言葉の中間にあるのが『スピリアル』です。
以前より、やはりよく耳にしていた『二極分化』という言葉、初めて聞くという方もみえるでしょうが、ひと昔前までは、“気づいている人々”と“気づいていない人々”というような意味合いで分けられていました。
気づいている人々とは、世の中がある特定の人たちによって操られていることから目をさまし、目に見えないことを理解し、意識が高いスピリチュアルな人。気づいていない人々とは、テレビや新聞などのマスコミや政治家、科学者、医者などの権威ある人の言う事を丸呑みし、現実主義で目に見えることしか信じない人という意味合いになります。
『二極分化』という言葉は、どちらかといえば、スピリチュアルな人々が一方的によく使う言葉であり、意識が違う人との分離が年々加速していると言われてきました。確かに、世の中や文明全体が物質主義に偏りすぎてしまったこともあり、その中で急速に目覚める人々が増える中、その分離感覚による二極化を感じた人は大勢いたのかもしれません。
かくゆう私自身もそう。わからない人には何を言ってもわからないし、通じないのでわかる人だけにわかってもらえたら良いと思っていました。そんなスタンスで情報発信をしたり、人付き合いをしてしまうこともありましたが、ある時期からそれにも違和感を感じ、今は特にそんなこだわりも持たなくなりました。なんとなく、宇宙は中心へ中心へ、あっちでもこっちでもない、中庸・中立の方向性へとエネルギーは向かっているようです。
これからの『二極分化』は、どちらかといえば、この『中心へ向かう人々』と『極へ向かう人々』の二極化になるようです。
スピリチュアルに目覚め、スピリチュアルをとことん追求してきた人々が、今は地に足をつけて現実をしっかり生きることを大切にし、自然と共存する方向性へと向かっています。
一方でまた、とことん現実主義で目に見えないことにも一切興味もなく、信じてもいなかった人々が、直観や無意識の中で、スピリチュアルなことを理解し始め、精神性を重視した価値観や生き方を模索し始めています。こうしてスピリチュアルでもリアルでもない、スピリアル(?)の方向性に向かっている人もいれば、これまでの価値観、生き方を変えれず、宇宙の方向性とは逆行し、現実主義の人はもっと現実主義の道へ偏っていき、スピリチュアルな人は、もっとスピリチュアルを探求し続け、ますます現実に戻れず、生きづらくなっていくでしょう。
もちろん、どっちの良し悪しもなく、それぞれが選んだ道、選んだ周波数の未来の現実へと進むでしょうが、潜在意識は中心へ向かおうとするのに、頭で抵抗して逆行・逆走するのは、心身ともに疲弊していくでしょう。
そんな時に大事なのは、頭ではなくハートで感じる声や感覚に従うこと。人生は選択の連続。小さな決断も大きな決断も、やるかやらないか。違和感を感じることがあれば、それを気のせいにして片付けずに、スッキリするまで原因を探索し、やりたくないことは無理してやらない。逆にワクワクする好奇心も、頭で制御して抑えるのではなく、素直に従って、やりたいことは遠慮なくやる。子どもになればなるほど、頭ではなくハートの声に従順となり、宇宙の流れに沿って自分自身を生きて行くようになるでしょう。