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高次元通信

高次元通信No25【宇宙人1】

24年07月17日

宇宙人は、神仏の上の次元の存在です。仏界が5次元、神界が6次元から9次元、10次元から上が宇宙人の世界となります。宇宙人の世界はいくつもの次元があり、究極の存在は10万次元となります。気の遠くなるような世界があるのです。ここでは、10次元から20次元の宇宙人についてお伝えします。

 

太陽系が所属している天の川銀河を統括している神を大元の神と呼んでいますが、実は宇宙人なのです。通常、地球に直接関わる存在が神で、地球以外の惑星や銀河に関わるのが宇宙人となります。さまざまな宗教では、宇宙を御創りになった神を最高神としてさまざまな名前で呼んでいますが、基本的には宇宙人なのです。宇宙はさまざまな次元があり、それぞれの次元を創った宇宙人が存在しています。天の川銀河が5つほど集まったのを天の川銀河団といい、さらにそれと同じような銀河団が8つ集まったのをアンドロメダ銀河連邦と呼んでいます。この連邦を統括している宇宙人を、この通信ではトルレットと呼んでいいます。もちろん、さらに連邦がいくつも集まったものがあるのですが、今の段階ではそこまでははかり知れないので、触れないこととします。

 

この連邦を統括しているのが11人の宇宙人なのです。トルレットの意志に基づいてさまざまな神に指示を与えているのです。この11人の宇宙人を「アギオン」と呼んでいます。宇宙人と神の違いは、実体があるかないかなのです。神は意志はありますが、実体がないため直接手を出すことができません。映画やテレビに出てくる宇宙人はいわゆる地球外生命体で、人類と同じような過程で誕生したのです。形の違いはありますが、基本的には同じなのです。この通信でお伝えしている宇宙人は、トルレットの代行者と言えるでしょう。アギオンはトルレットの指示をさまざまな形で多くの神に伝えていきます。次元の高い神から低い神に伝えられ、私たちに身近な神である現津神に伝えられるのです。

 

このナンバーからの通信は、アギオンから直接伝えられてきたことをお伝えします。一人間である私がそのような高次元の存在から直接メッセージを受け取ることができるのかと、疑問に思われるでしょう。これからお伝えする内容は、この「高次元通信」の前のシリーズである「神時代通信」でお伝えしたことを簡潔にまとめ、さらに新しいことを追加していきます。アギオンから伝えられてくることは、ある意味で究極の存在の意志でもあるのです。究極の存在からのメッセージを直接受け取ることができる人は存在しません。唯一受け取ることができるのはトルレットだけなのです。そしてさらにアギオンに伝えられて、多くの神に伝えられていくのです。これからのナンバーは、究極の存在から伝えられてくることをトルレットを経てアギオンに伝えられたことをお伝えします。アギオンとは神々の統括者と言う意味です。アが始まりであり、究極の存在のことなのです。ギオンとは京都の祇園祭と同じで、多くの人が集まって賑わい、神々がそれぞれの役目を果たす世界を意味しているのです。多くの神は、宇宙人の分身でもあるため、最終的にはこの宇宙が栄えるように働くのです。栄えるとは、愛にあふれた世界にすることなのです。

 

「我らはアギオンなり。我らは究極の存在の意志を多くの神に伝えるなり。本来ならば神々だけに伝えることなれど、大きな変革が始まり出したことで、神と人が力を合わせて対応しなければ乗り越えられない状況になってきたため、人々にも伝えることにしたなり。究極の存在の意志はすでにさまざまな形で伝えてきたなれど、ここでもう一度しかと伝えるなり。今地球は、大変革の時を迎えたなり。この数百万年の間、我欲に取りつかれてきた人類は、その役目を終えようとしているなり。我欲によってさまざまなことを体験し、学んできたはずなり。されど、我欲にとらわれるようになって何のために生まれてきているのかを忘れるようになってきたなり。我欲は必要なれど、それにとらわれ過ぎてはいけないのであり、我欲にまみれてしまったら人として生きている価値はなくなるなり。しかるに、邪神や邪気に取りつかれている者は不要となるなり。今、その選別を終えようとしているなり。不要となりし者はこれから淘汰されていくなり。しかと心得るがよい。」

 

このことが究極の存在の意志なのです。そして、不要となった人はこれから淘汰されていくのです。そして、神とつながることができる人だけが残されていくのです。神とつながるためには、日々、感謝と謙虚さを実践しなければなりません。どれだけの人が実践するのかを究極の存在は静観しているのです。アギオンは今、少しでも残される人を増やすために、さまざまな神と協力して動いているのです。特に、人に一番近い現津神や仏様といっしょになって。したがって、ご利益ばかりを求めに来る人たちの相手などしていられないのです。多くの神社仏閣ではご利益を盛んに宣伝しています。しかし、そこには神仏はおみえにならないのです。逆に、人の我欲をエネルギー源としている邪神や邪気がうごめいているのです。人のために願い事をする人には神仏も降りてきてくださりますが、己の我欲ばかりを願う人には邪神や邪気が降りてくるでしょう。

 

多くの神は今、人とつながることを望んでおられます。それぞれの神の御役目を果たすためには、その神の手足となって動いてくれる人が必要なのです。御役目によって異なりますが、神とつながることでその神の御力を授かり、その神の御役目を代行していくのです。たとえば、人の支えになるとか、人の心を癒すとか、人の哀しみに共感してあげるとか、さらには困っている人の手助けをするとか、ささいなことかもしれませんがそのような小さなことを積み上げていくことが大切なのです。大きなことをするのではなく、小さなことを積み上げることで誰でもが行っていけることをしていくのです。そうすれば多くの人が見習うことができるのです。つまり、お手本となって実践していくことが神の手足となっていくことなのです。

 

神仏はいつも私たちの身近にいてくれているのです。だれでもそれを意識すれば、神仏はお力を貸してくれるのです。わざわざ神社仏閣に行かなくても、神仏は意識すればそばにいてくれるのです。逆に、神社仏閣には多くの人が落としていった我欲があるため、それに邪気や邪神が引き寄せられてきます。ご利益ばかりを求めに行くと、それらに取りつかれてしまうのです。お札や御朱印帳集めもブームとなっていますが、我欲をもっている宮司や僧侶が書いたお札や御朱印帳には邪気や邪神が取りつくのです。よかれと思って家や車にお札やお守りをつけていると、とんだ禍を招くことになります。十分に気をつけるようにしてください。宗教は人が作ったもの、神仏が作ったものではありません。人が人を支配し、言いなりにさせるために作られたのが宗教です。神仏を利用してきたのが宗教なのです。神仏は信じる人のそばにいつもいることを忘れないでください。そして、いつも神仏の存在を意識するようにしてください。ひと昔前は、「お天道様が見ているよ」と言われてきました。お天道様こそが神仏なのです。

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