現津神についてお伝えするのは、これで終わりとなりますが、何度もお伝えしているように、古事記や神社で伝えられている神の素性や御役目はほとんどが偽りなのです。これからは神仏とつながっていく時代となっていきます。神仏とつながるためには、そのお役目をしっかりと知っておかなければなりません。
【建御雷神】(たけみかづちのかみ)
この神は、地震ナマズを押さえ込む神とされていますが、本当の御役目は建物を雷から守ってくれる神なのです。建が建物で、御が敬意を表わす、つまり、雷に敬意を表わして建物から守るのです。雷は、龍神が落とされます。自然を破壊したり、生き物をむやみに殺したりするとそのことを戒めるために雷を落すのです。本来ならば田に雨を降らせるものだったのですが、時には戒めるために落とすのです。龍神は雷の他にも竜巻や台風、ハリケーンを起させます。同じように戒めるために。近年、台風やハリケーンが多発しているのは龍神が大いに動かれているからです。特にアメリカなどはハリケーンや巨大竜巻が多発しています。自然破壊を戒めるためなのです。それでもやめないのならば、いずれは火山噴火や大地震を引き起こすでしょう。
【火雷神】(ほのいかずちのかみ)
この神は、腐った伊邪那美命の体から生まれた雷神とされています。しかし、古事記ではやたらと汚いものから神が生み出されたとされています。どうしてなか、不浄なものから生み出されるものはその反対の力を持っていると、昔の人は考えていたのです。つまり、汚い尿や糞、吐いた物や腐った物にすべての不浄なるものが残されて、清いものだけが生まれて来ると考えられていたのです。しかし、普通に考えたらおかしな話で、このような話は日本特有のもので、さらに古事記や日本書紀だけに記されている特別なものなのです。裏を返せば、偽りを多く書き重ねているため、少しでもその罪を間のがれるためにこうした逸話を作り出しているのです。内容自体が不浄なので、その埋め合わせをしているのです。
この神の本当の御役目はまさしく御名前の通り、火と雷の神なのです。邪悪な心を持っている人を火と雷で成敗するのです。火とは火事や火傷です。雷はまさに落雷です。日本は江戸の時代に多くの火事に見舞われました。もちろん密集した木造建築が多くあったので、一度火事が生じれば大火災となったのですが、当時は多くの人が神に対する信仰を失くし、お金や物に執着する人が多くなっていたため、戒めるために火事を何度も引き起こしたのです。それは大正の関東大震災や最近では阪神淡路大震災、そして多くの火災はこの神による戒めなのです。
神が火事を引き起こすなどとは考えられないでしょうが、何度もお伝えしているように、神は人が正しく生きていくように導く存在なのです。いくら注意しても聞かなければ、罰を与えるしかないのです。「仏の顔も三度」と言われるように、いつまでも改心しなければ痛い目に合わせることもするのです。
【天日鷲神】(あめのひわしのかみ)
この神は、酉の市の神として崇められています。たしかに鳥である鷲の字が御名前に入っているためと思ってしまうのですが、この神の本当の御役目は鷲が大空を天高く舞うようにさせる神なのです。つまり、人の志を高める神なのです。「天高く馬肥ゆる秋」という言葉がありますが、一般的には秋の句と言われています。しかし、本当の意味は秋の澄み渡った空のように、そして肥えた馬のいななきのように、どこまでも高く響き渡る志を持つようにと言う意味なのです。この神はそのような役目を果たすために、人々に勇気と元気を与えるために日夜ご活躍されているのです。この神が一番ご活躍される時に、さまざまな革命や維新が起こるのです。ある意味でこの神は革命児とも言えるのです。この神はこれから多いに御活躍されるでしょう。
【野見宿禰神】(のみのすくねのかみ)
この神は、相撲の神と言われていたり、埴輪を作った神とも言われています。この神の本当の御役目は御名前の通り、野原を見渡すことができるようにしてくれる神なのです。野原とは広い視野のことであり。狭い考え方では乗り越えられない苦難を、見方を変えさせることで乗り越えさせてくれる神なのです。宿禰はある意味での称号ですが、本当は付いていなかったのです。ですから野見神だったのです。しかし、これでは格式がないということで後世の人が格式のある称号を付けたのです。まさしくおせっかいなのです。
【鳥之石楠船神】(とりのいわくすふれのかみ)
この神は、鳥のように空を自由に飛べる船の神とされています。つまり乗り物の神なのです。この神は乗り物ではなく人の心を鳥のように大空に飛ばせ、大海原を行き来させる神なのです。つまり、人の心を解放してくれるのです。さまざまな束縛から解放し、自由な発想をするようにさせてくれる神なのです。
【波邇夜須彦神・波邇夜須姫神】(はにやすひこのかみ・はにやすひめのかみ)
この神は、伊邪那美命が火傷をして苦しんでいる時に漏らした糞から生まれた男女一対の神と言われています。そしてハニヤスが粘土のことを表していると言うことで、埴輪のモデルともされているのです。これほど神をバカにしていることはありません。糞から生まれる神がどこにいると言うのでしょうか。ハニヤスは粘土のことではありません。波が邇、近いと言う意味で、波が間近に近い夜とは満潮を意味しているのです。つまり、満潮を待ち受ける神なのです。それは、満潮がすべての生き物の活動を活発にさせる時なので、その時に生き物の繁殖をうながすのです。海の生き物の多くは満潮時に産卵します。人も満潮時に生まれることが多いのです。さらに狼男が変身するのも満月の満潮時、女性の生理もそうですし、多くの生き物が月の引力の影響を受けているのです。この神はその引力を上手く使って多くの生き物の繁殖をうながしているのです。
神はすべての物に宿っています。すべては素粒子でできているのですが、素粒子の中でも一番小さな光子がすべてを創っているのです。私たちの魂も神も光子でできているのです。そのため、ある意味でつながっているのです。私たちの魂はおよそ100億個の光子でできています。現津神は人の魂の1億倍、国津神は10億倍、そして天津神は100億倍の光子でできているのです。本来はもっと多くの数の光子からできているのですが、長い時を経て、この数に落ち着いたのです。誕生した頃はもっと多くの光子でできていたのです。人の魂は10の50乗個で、現津神は10の100乗個、国津神は10の1000乗個、天津神は10の10000万乗個でした。