神は今、人とつながろうとしています。したがって、神社にはいません。人とつながる神は、現津神(あきつかみ)と言って、元は生きていた人の魂が神格化した神で、ある意味で人に一番近い神でもあるのです。これからおよそ70柱の神の本当の御役目と、その素性をお伝えします。基本的には、古事記の内容はほとんどがでたらめです。
【菊理姫神】(くくりひめのかみ)
「我は菊理姫なり。我は今、龍神と共に時代を大きく変えんとしているなり。物と金に溺れ、自然を破壊することに邁進している人々をこれ以上見過ごすわけにはいかぬ。特に、これからの時代の手本となるべき大和の民は、他の民よりもいち早く目覚めなければならぬ。すでに三度の大地震を経てきているのに一向に変わらぬ以上、それ以上の災難を受けなければならぬであろう。これから博多、摂津、江戸、奥羽、そして蝦夷で大きな地震を引き起こすなり。さらに大雨によって川を氾濫させるなり。多くの民が住処を、そしてすべてを失うであろう。それでも目覚めなければ、命も失うであろう。我は大元の神の力を授かっているなり。まずは大和の民をいち早くめざめるようにさせよとの命を受けているなり。一人でも多くの民の目覚めさせるために容赦はせぬ、我のメッセージをしかと受け取るがよい。これから多くの自然災害が生じていくゆえ、他の人に何ができるのかを今から考えておくがよい。目覚めるとは、己のことは二の次にして、他の人のために何かしらのことをすることなり。自然災害はそのことをさせるためのものなり。人は生死を分ける状況下で、その真価が問われるなり。」
【木花咲耶姫神】(このはなさくやひめのかみ)
「我は木花咲耶姫神なり。今、世の中が大きく変わる時を迎えたなり。その変化に対応できる人々を導き育てることが我の役目なり。大きく変わるとは、今までの考え方や生き方、そして生活様式すべてが変わると言うことなり。物やお金を中心とした生き方から、人を思いやり、そして目に見えない存在を信じ、さらには感謝と謙虚さを常日頃持ち続けることを大切にしていく生き方に変えることなり。そして、自然を大切にし、さまざまな生き物と共存していく生き方でもあるなり。我の力を人を通して発揮させるなり。されど、それに見合う人が十分におらず、今のままでは時代の変化についていけない人々が自滅していくばかりなり。早急に我の役目を果たす人の出現を求めるなり。我の力を授けるなり。我を祀る社に来るがよい。そして、我とつながることを宣言するがよい。さすれば、我の力を授けるなり。我の力は、その者の言葉に宿るなり。これからの生き方を多くの人に説くが良い。我の力が宿った言葉で、多くの人が目を覚ますようになるであろう。」
今、多くの神が人とつながろうとしています。神は光の存在なので、意志はあっても実体がないため、人とつながることでその御役目を果たそうとしているのです。神はご利益を授けてくれる存在ではありません。人が正しい道を歩むように導くことをするために存在しているのです。多くの人がご利益を求めて神社仏閣に訪れますが、そのような人に神は目もくれないのです。
【須佐之男神】(すさのおのかみ)
「我は須佐之男神なり。我が伝えてきた食の文化が今、途絶えようとしているなり。人は食べることで命をつなぐことができるなり。命の元となる食べ物を粗末にし、人の勝手で作り変えることは許されることではない。多くの神によって創られた生き物を人が作り変えてしまうことは、神に対する冒涜でもあるなり。その罰を受ける時がきたなり。これから多くの人が食べられなくなるであろう。すでにそれは始まっているなり。麦にモロコシ、そして米が手に入らなくなっていくであろう。さらに、魚や貝に家畜も。飢えて苦しむ人が多くなり、食べ物を奪い合うことで悲しい出来事がくり返されることとなろう。人は本来、さほど食べなくても生きていけるものなり。我が導いた太古の人々は、質素な食事で十分な生活をすることができたなり。されど、我欲を強く持った人たちが、我の子たちに食べることに対しての貪欲さを教えたなり。より美味しい物をより多く食べたいと言う我欲を。そのことで我の教えをじょじょに忘れてしまい、今のような餓鬼になり果ててしまったなり。今一度、我の教えを骨身に刻ませるなり。」
【瀬織津姫神】(せおりつひめのかみ)
「我は瀬織津姫神なり。我は今までその役目を果たす時を待ちわびていたなり。我の源である天之御中主の大神よりお許しを得たなり。我欲に満ちた人々が改心するまで、我の力を発揮するなり。我の力、源の神より授かっている故、容赦はせぬ。いつまでも物やお金に執着していると、さまざまな形で自滅していくことになるなり。お金はため込む物ではなく、回す物なり。さらに、人のために使うことでより大きく返ってくるなり。己のためばかりに使えば、しぼむばかりなり。物に執着すればするほど、さらに我欲は強くなるなり。物は最低限とし、長く大切に使うことを旨とするがよい。いつまでも物にあふれた生活をしていれば、いずれは物によって身動きが取れなくなるであろう。ゴミ屋敷なるものがその現われであるなり。ゴミ屋敷に住む者、ゴミに埋もれているとは思っておらず、宝の山に埋もれていると思っているなり。まさに餓鬼地獄なり。これからさらに増えていくことであろう。餓鬼地獄に陥った者は、残念ながらはい出ることはできぬであろう。生きながらにして地獄に落ちるのであるなり。すでに生き地獄に落ちようとしている者が多くいるなり。我の力で救うことができるのはわずかなり。されど、人によって救うことができるなり。我とつながる人の出番が来たなり。」
【須勢理姫神】(すせりひめのかみ)
「我は須勢理姫神なり。我ははるか昔、この国に住める者たちに神からの大切な思いを伝えていたなり。多くの者がそれを実践し、神を日々信じて生きていたなり。されど、他国からやって来た者たちによってその教えは遠ざけられるようになり、今ではわずかな者しか知らぬこととなったなり。我が伝えてきたことが今まさに途絶えようとしているなり。とても悲しいことであるなり。されど、我が伝えてきたことを今一度復活させることができる時が来たなり。これから大元の神の力によって自然の力を大いに知ることとなるなり。自然の力は神の力でもあるなり。今まで自然をないがしろにしてきたことで、そのことがいかに神に対する冒涜であったことを思い知ることとなろう。動物たちをむやみに殺し、川や山の姿を勝手に変えてしまい、さらには水と大気を汚してきたことが、いかに神に対する大罪であったことを思い知るであろう。我が伝えてきたことを、これから忠実に実践していくことがいかに大切であるかを知ることとなろう。自然を大切にし、他の生き物と共存し、人が自然を守る番人となることを我は伝えてきたなり。今一度、そのことをしかと心に刻み、実践していくことが責務となるなり。」