梵天は、元々は仏の教えを広めるための神として信仰されていました。その後、菩薩や如来を補佐し、守る神として崇められるようになりました。仏教では、仏の方が神よりも上の存在として扱われていますが、実際はその逆で、神の分身として仏が存在しているのです。いずれにしても、神仏は一心同体なのです。
仏の世界はとても複雑に入り組んでいます。それは、インドのヒンズー教や中国の道教、さらにはさまざまな宗教が混在しているからです。仏の教えをどのように伝えていくかで、それぞれの地域や国によって、元々あった宗教を織り交ぜることでわかりやすくしていったのです。そのような教えが日本には長い年月をかけて、いくつも伝わってきたため、さまざまな形ができていったのです。その代表的なのが七福神やさまざまな観音菩薩なのです。本来の役目から大きく変わってしまっている場合もありますが、ある意味で人の都合のいいように作り変えられてしまったのです。神も同じで、ご利益を授ける存在として崇めるようになっているのです。
本来、神仏はご利益を授ける存在ではないのです。特に、人に一番近い存在である仏は、人を正しい道に導く存在なのです。そのため、時には厳しく接することもあり、時には目覚めるために苦難を授けることもあるのです。梵天はその中でも、人が強い我欲を持たないようにさせることをさまざまな形で、教えてくれるのです。たとえば、お金に強い執着を持っている人には、貧乏神がつくようにさせるのです。貧乏神は梵天の分身で、お金が入って来てもすぐに出ていってしまうようにさせるのです。そのため、お金がいつも足らない状態になってしまうのです。その結果、ますますお金に対する執着が強くなってしまうのですが、いつまでもそのようなことをしていてはいけないと、執着を捨てると貧乏神は去っていくのです。逆に、執着を手放さないといつまでもお金が足らない状態が続くのです。
お金持ちの人は、お金に対する執着が強いのにどうして貧乏神がつかないのか。お金はため込む物ではなく、回していく物なのです。お金持ちの人はそのことを良く知っているので、お金をいつも回しているのです。投資をしたり、金などに替えたり、株の売買をしているのです。そのことでお金を回して、新たなお金を手に入れているのです。しかし、いつまでもそのようなことをしていると、やはり貧乏神がついてしまうのです。最近は多くの人が投資をするようになっていますが、安易にやっていると貧乏神が取りついて大損をすることになってしまいます。すべてはそこそこにしておくことが大切なのです。
梵天はさらに、多くの分身を生み出します。厄病神や疫病神、さらに多くの神仏とつながっているのでさまざまな化身を生み出しているのです。名前がついていない神仏が多いのですが、私たちの周りには多くの神仏がいて、私たちをいろいろな形で導いてくれているのです。ある意味で私たちは多くの神仏によって生かされているのです。一人に少なくとも数体の神仏がついていて、手取り足取りしているのです。さらに、守護霊や指導霊も加わっているのです。
「我は梵天なり。我は我欲に傾く民を救うなり。我欲は生きていく上で必要なれど、強く持ちすぎると身を亡ぼすなり。滅ぼせば、魂は永遠にさ迷うなり。そのような魂が集まって邪気や魔物を作るなり。そのことにならぬように、少しでも目を覚ますようにさせることが我の役目なり。何度忠告しても目を覚まさぬ者は、痛い目に会うのであるなり。貧乏神や疫病神は我の化身なり。それらの力によっても目を覚まさぬ者は、魂と共に消滅させるなり。二度と生まれ変わることはできなくなるなり。しかと、心得るがよい。」
多くの人が我欲に取りつかれた生き方をしています。お金や物、性欲や食欲、さらには権力欲や支配欲など、さまざまな欲に取りつかれているのです。そのため、いくら神仏が諭しても見向きもしない人が多いため、いよいよ大元の神による大掃除が始まったのです。地震や火山噴火、洪水や異常高温、さらには紛争や戦争によって我欲の強い人たちを消滅させているのです。この傾向はますます強くなっていくことでしょう。
我欲が強くなってしまうのは、人には生きていくための本能があるからです。生きていくためには食べ物を確保し、そして安定して食べ物が得られるように縄張りを確保しなければなりません。さらに、子孫を残すために雄はいつもライバルと戦って、より強いものだけが多くの雌に子孫を残していくのです。このような本能こそが我欲の原点になっているのです。しかし、人と動物のちがいは、理性があるかないかにあるのです。人には理性があるので、過剰な我欲をコントロールすることができるのです。しかし、いくら理性があっても、一度タガが外れると際限がなくなってしまうのです。理性を保つことができないようにさせるのが、悪の存在なのです。「魔が差す」という言葉がありますが、目に見えない存在が理性を抑えてしまうのです。
目に見えない存在とは、人の我欲が作り出した想念なのです。いわゆる邪気と呼ばれるもので、多くの人がさまざまな思いを発すると、それが長い年月をかけてある種のエネルギー体となるのです。怒りの感情は龍、不安の感情はキツネ、自己中心的な感情はタヌキ、そして恨みの感情はヘビとなって人に取りつき、それぞれの感情を増幅させて理性を抑え込んでしまうのです。さらに、強い執着を持ったまま亡くなると、成仏できなくていつまでも私たちの世界をさ迷っていると長い年月をかけて合体し、悪魔やサタン、デーモンやデビルとなって、同じような執着を持った人に取りつくのです。これらのものが邪魔して、人の理性が正常に働かなくさせてしまうのです。
これらの邪魔に左右されないようにするためにはどうしたらいいのか、唯一の方法が感謝と謙虚さなのです。いかに日々、すべてに対して感謝していくか、そして自分のことは二の次にして他の人にゆずるか、できるところから続けていくことが邪魔に左右されないことになるのです。邪気や魔物はいつも私たちの我欲が強くなるところを狙っています。スキを見せるとすぐに取りついてくるのです。神仏がいくら守ってくれていても、邪気や魔物の力は強力なのです。最終的には自分の身は自分で守るしかないのです。そのことをしっかりと認識するようにしてください。
梵天が私たちの我欲が強くならないように導いてくれていることがわかることがあります。密教で使われる梵字は、梵天の力を表しているのです。梵字を書くことで、我欲は抑えられていくのです。多くの人が梵字で写経をするとよいでしょう。