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新世紀通信No14【古墳】

23年10月27日

古墳は日本独自のお墓で、3世紀ごろから作られましたが、実はさらに古い時代から作られていたのです。3世紀頃は大和朝廷がその勢力を拡張し始めていた頃で、その権力を現すために大きな古墳を作ったとされています。しかし、実は古墳は単なる墓ではなく、人の魂を形どった物なのです。つまり、死後もその地に居ることを現わしているのです。

 

代表的な古墳は、前方後円墳なのですが、鍵穴を逆さにしたような形がなぜ魂の形なのか。一般的には、勾玉が魂の形だと言われています。勾玉は、生命の誕生の始まりを現わしているのです。胎児の初期の形が勾玉なのです。魂は目には見えませんが、人の体から離れる時に一時的に見えることがあるのです。その姿を当時の人はしっかりと見ていたのです。今のように多くの人が病院で亡くなることが多いと、看取ることがゆっくりできないため、魂の存在を見ることができないのです。すでにお伝えしましたが、魂は風船のような袋に多くの光子が入ったものなのです。その数は人にもよりますが、およそ100億個の光子が入っているのです。風船の形を円墳で現し、方墳は光子が風船から出ていかないようにするためのストッパーなのです。したがって、ある意味でてるてる坊主と同じなのです。

 

このような考え方は、今まで一度も報告されていません。この通信で初めてお伝えするのです。当時の人たちは、権力者の魂がいつまでもその地に残って、一族を守ってくれることを願って古墳を作ったのです。しかし、それは身勝手な話であって、亡くなった人の魂をいつまでもしばっておくことはできないのです。そのため、当時の人たちは、亡くなった人の愛用していた装飾品や従者をいっしょに埋めたのです。従者は、ある意味での生け贄だったのです。当時は、大和朝廷が全国を統一しようとしていました。それまでは、いわゆる豪族が各地を支配していたのです。まさに、中世の戦国時代と同じだったのです。この豪族の多くは朝鮮半島から移住して来た人たちで、支配欲と権力欲が強く、いつも争っていました。そこへ、やはり半島から渡って来た王族が、最新の武器を携えて豪族を支配下に置いていったのです。

 

当時、もう一つ栄えていたのが邪馬台国です。大和朝廷は奈良県を中心に栄えたのですが、邪馬台国は九州を中心に栄えたのです。やはり、半島から渡ってきた王族なのです。この両者の王族は、半島でもいつも争っていたのです。しかし、もう一つの王族に両者とも追い出されて日本列島に渡ってきたのです。そして、それぞれの地で栄えたのですが、その勢力を広げようとして、また日本で争うようになり、邪馬台国は滅ぼされたのです。邪馬台国がどこにあったのかは、さまざまな説がありますが、九州宮崎の高千穂地方で栄えていたのです。そのことから、古事記ではこの地に神が降りてきたとされていますが、実は半島から渡ってきたのです。そして、謎の多い卑弥呼も、やはり半島から渡ってきた王族なのですが、個人の名前ではなく、その王族の血を引き継ぐ女性のことを言っていたのです。中国との交易を盛んにしていたので、魏志倭人伝に卑弥呼のことが記載されていますが、当時、中国に貢物を送る周辺の国々は、その国の独立を認めていたのです。大和朝廷はしていなかったので、国として認めていなかっただけなのです。あくまで、中国側の見識なのです。
古墳を作ることは、当時のステータスでもあったのです。特に大和朝廷は、その権力を誇示するために大きな古墳を作ったのです。しかし、8世紀の終わりごろから、新たに半島から別の王族が移住してきたのです。当時、半島では、新羅、高句麗、百済の三国がいつも争っていました。中国の力を借りて、高句麗が半島を制圧したので、百済の王族が日本に避難してきたのです。その勢力が大和朝廷を駆逐して、平安時代を作っていったのです。藤原家は半島の王族に使える軍団だったのです。その人たちが自分たちの力を利用して、日本を統治していったのです。藤原家のルーツは飛鳥時代までさかのぼりますが、その残虐性と巧妙さは特別なものがあり、最終的には天皇と姻戚関係を結んで摂政となって、実権をにぎったのです。

 

平安時代の貴族の多くは半島でも貴族として暮らしていたので、智略に長けていて、さまざまな策略をめぐらして、その影響力を強めていったのです。しかし、徳川時代になると冷遇されるようになって、その力は衰退していったのです。現在の京都の文化は、平安時代に作られたものがベースになっていますが、その多くは半島から伝わったものなのです。長い歳月をかけて日本の風土に合うように改良されてきたのです。半島の文化も、中国から伝わったものがベースになっているのです。そして、中国の文化の元は、今から1万年前にスメラミコトの子弟が伝えたものなのです。すでにお伝えしたように、スメラミコトはプレアデスの宇宙人からさまざまなことを教えてもらっていたので、それを世界に広めるために、およそ1万年前に16人の子弟を世界に派遣したのです。現在の天皇の紋章である16菊花紋はこの16人のスメラミコトの子弟を現わしているのです。

 

この16人の子弟は、さまざまな文化を伝えたのですが、その最大なるものが言語なのです。世界の言語のルーツは、日本語にあるのです。神代(カミヨ)文字と呼ばれる文字が、スメラミコトによって創られたのですが、さまざまな文字があって、現在伝えられているものだけでも48種類あるのです。アイウエオの50音の表記の仕方が48通りあるのです。その中の一つが龍体文字であり、カタカムナ文字なのです。他にもさまざまな呼び名の文字がありますが、それぞれの時代のスメラミコトが創り出したのです。漢字も神代文字がベースになって発展し、逆輸入されたのです。この神代文字を正確に伝授している人が、岐阜の高山に在住しているのです。48種類の神代文字をすべて正確に書き、多くの人に懸命に伝授しているのです。神代文字には神が宿るとされていて、修練を重ねて書いていくと神とつながるようになっていくのです。巷では、龍体文字などがブームになっていますが、単なる興味本位で書いていると、神罰を受けてしまうかもしれません。

 

古墳は前方後円墳が一番多いのですが、円墳や方墳も多くあります。円墳はすでにお伝えしたように、光子が入った風船をかたどっていて、方墳はその風船を安定させる働きをしているのです。しかし、方墳の役目にはもう一つ大切なものがあるのです。方墳は多くの光子を増やす働きをしているのです。魂が最初にできた段階で、およそ100億個の光子があるのですが、さまざまなことを経験して魂が成長していくと、さらに多くの光子を必要としていくのです。その光子を増やす役目をしているのが方墳なのです。ただ、だれでも光子が増えるわけではありません。我欲に取りつかれていつまでたっても、自己中心的な生き方をしている人の魂は成長しないので光子も増えないのです。逆に、人のために懸命に動く人は光子が増えていくのです。光子がある一定の数に達すると、神仏とつながるようになるのです。そして、さらに宇宙人とつながるようになるのです。ちなみに、私の魂の光子は現在、300億個となっています。そのため、19,5次元の宇宙人とつながることができるのです。

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