天津日子根神(アマツヒコネノカミ)は、天照大神の玉から生まれた五人の男神の三番目の神とされています。その御役目や何をしたのかは、古事記には記載されていません。ただ、多くの地の氏神の祖になったと言われています。この神の本当の御役目は、人々の願いをそれに応じた神々に取り次ぐことをしているのです。
多くの神社仏閣では、さまざまなご利益があると宣伝しています。子宝や縁結び、学業成就や交通安全、病気退散や家内安全、ガン封じや商売繁盛、金運上昇や五穀豊穣など、さまざまなご利益があるとされています。どうしてこれほどまでにご利益主義となってきたのか、それは神社仏閣が多くの人に来てもらいたいと言う思いからこのようなご利益を作り出してきたのです。確かに神仏はご利益を叶えてくれる力を持っています。しかし、本来は人のご利益を叶えることが神仏の役目ではないのです。多くの神仏はそれぞれの御役目があって、人々が正しい生き方ができるように御働きになっているのです。たとえば、心の我欲を取り去ったり、悲しんでいる人の心を癒したり、迷っている人を導いたり、さらには哀しんでいる人を勇気づけたりします。このようなことが多くの神仏の本当の御役目なのです。それをある意味で誇張して、ご利益を叶えてくれるとしているのです。
多くの人は、神社仏閣にご利益を求めていきます。しかし、神仏の本当の御役目を知らないので、それぞれの神仏に対して正しい接し方ができないのです。それができないと、いくら願い事をしても叶えてはくれないのです。正しい接し方とは、その神仏の御役目に対して感謝の意を伝えてから、願い事をするのです。しかし、己の私利私欲の願い事はご法度です。家族や友人、そして多くの人のための願い事をするのです。商売繁盛や合格祈願、子宝祈願や縁結び祈願などは、己の我欲を満たすための願い事です。それに対して応えてくれるのは、実は邪神なのです。特に稲荷神社や八幡神社、天満宮などは、昔からご利益を求めてやってくる人が多いのです。これらの神社の神はその昔、大陸から渡って来た人たちが持ち込んだ神なのです。大陸の人たちは我欲が強いため、神をご利益を叶えてくれる存在として祀ってきました。邪神は、元は人の魂であり、我欲を強く持ったまま亡くなったため、人間界に居座ってしまい、それが何万年もかけて凝縮してできたものなのです。
邪神はある程度の願い事を叶えてくれます。しかし、その見返りとして己を崇拝するようにしていきます。願い事を叶えてやる代わりに、僕になるようにさせていくのです。人は願い事が叶うと、さらに多くの願い事をするようになります。それをくり返すことで、しだいに我欲は大きくなり、悪の心を肥大化させていくのです。それは邪神にとって、一番喜ばしいことなのです。我欲を増長させることが邪神の目的なのです。そのことを多くの人はしりません。ましてや多くの宮司や僧侶は邪神の手下となってご利益を触れ回り、我欲を増長させているのです。このような現実を大元の神は嘆かれているのです。そのため、これ以上邪神がのさばらないように、鉄槌を下されることになりました。
「我は天津日子根神(アマツヒコネノカミ)なり、我は人々の願いをそれに応じた神に伝えるなり。八百万の神が、人々の願いを受けとめるなり。されど、民は己の願いを神に押し付けるばかりでは、願いは叶わず。神の手足となって動く者に願いは果たされるなり。それぞれの神の役目を知らねば、願い事は叶わず。長きにわたりて、神々の真実が隠されてきたなり。日の本いずるこの国を見守ってきた神々は今、その役目を果たそうとしているなり。されど、その役目を神の手足となって果たす者があまりにもいないことが現状なり。神の手足となって動く者は、感謝と謙虚さを実践している者なり。日の本の民は、神の手足となって動くために生まれたなり。そのことを今一度、思い出すがよい。長き歳月によって、多くの民がそのことを忘れてしまったなり。そのことを思い出させるために、ある意味での荒療治をするなり。すでに淡路、福島で行ってきたが、日がたつにつれて、皆忘れるなり。この度は、二度と忘れることのなきような変革を起こすなり。しかと心するがよい。」
日の本の民とは、縄文人の血を引く人たちです。およそ日本人の4割の人が縄文人の血を引き継いでいます。残りの6割の人は、大陸から渡って来た人の血を引き継いでいるのです。しかし、わずかながらも縄文人の遺伝子を持っているのです。ある意味で6割の人はハーフなのです。中には大陸の血が濃い人もいれば、縄文人の血が濃い人もいます。縄文人の直系がアイヌや沖縄の人なのです。比較的東北の人は縄文人の血が濃い人が多く、西日本や九州、四国の人は薄い人が多いようです。いずれにしても縄文人、つまりはシリウスやプレアデスの宇宙人の遺伝子を受け継いでいる人が日の本の民なのです。この遺伝子は、神仏とつながることができる力を発現させるのです。しかし、我欲が強いと発動しません。感謝と謙虚さを日々実践していくと発動するのです。さらにこの遺伝子は、ある意味で超能力を発現させるのです。人の心を感じたり、先のことが見えたり、目に見えない存在を感じたりすることができるのです。
天津日子根神は、多くの神と人をつなげる神でもあるのです。それぞれの神の御役目に合った人を探し出してつなげるのです。どのようにつなげるのか、人によってさまざまですが、運命的な人と出会うことでその人の今世の役目を知ることとなり、その役目を実践していくとそれに応じた神とつながっていくのです。その運命的な人との出会いを作り出すのが、この神の役目でもあるのです。人は生まれて来る前に、今世の役目や目的をある程度決めてきます。しかし、生まれると同時に一度すべてを忘れてしまうのです。そしてさまざまなことを経験し、悩み、もがき、そして何度も考えることで今世の役目や目的を思い出していくのです。しかし、今の若い人はそのようなことはあまりしないので、今世の役目を知らないまま、無駄な時をすごしてしまっているのです。今、時代は大きく変わろうとしています。今こそそれぞれの今世の役目を自覚して生きていかなければならないのです。この神はそのため、とても忙しく動いていらっしゃるのです。
私のところにやってくる多くの人は、今世の自分の役目を知りたくて訪れるのです。その多くはその人の守護霊からのメッセージが降りてきます。幼少の頃に亡くなった祖父や祖母、時には前世からのメッセージが多く、その人のこれからの生き方を示唆してくれます。そして、最近多くなっているのが、さまざまな神仏からのメッセージです。その人に見合った神仏から今世の役目が伝えられ、そしてその神仏から力を授かって、その神仏の手足となって動くことを告げられるのです。そのような人が、日増しに多くなっています。ある意味で、私も天津日子根神のような役目をさせていただいているのです。これからますます神とつながる人の来訪が多くなることでしょう。