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神時代通信

神時代通信No10【大日如来】

22年08月09日

仏様の世界と神様の世界はとても深い関係にあります。神はその実体を見ることはできません。そのため、人は神の存在をなかなか信じることができないのです。そこで、神は人が目に見える形になればより信じるようになるだろうと思い、仏となって現れるようになったのです。つまり、次元を落として仏の姿となったのです。

 

神はある意味で光のような存在です。意志はあるのですが、その実体はありません。そのため、人は目に見えないとなかなか信じようとしないのです。そこで、神はその次元を落すことで目に見えるようにしたのです。扇風機の羽根は高速に回転すると見えなくなります。低速にすると羽根の形が見えてきます。神が次元を落すと、その力も低下するのです。そのため、神の御力が十分に発揮できなくなるのです。しかし、人々が仏を信じることで人として正しい方向に向かってくれるようになれば、それでいいのです。正しい道とは人を思いやり、感謝と謙虚さをいつも持つことを心がけるということです。人はどうしても我欲に走ってしまいます。そうすると人をだましたり、時には人を殺したり戦争を引き起こしてしまうのです。そのようなことを起こさないように仏や神を信じることの大切さを広めようとしたのです。

 

神の分身でもある仏は、さまざまな御役目を持っています。さまざまな神が存在するので、それに応じた仏が存在するのです。中でも大日如来は天津神の代表的な神である、天照大日大神の化身なのです。この神はさまざまな化身を送り出しています。ヤハエやメシア、アッラーや弥勒菩薩、聖観音菩薩などその御役目に応じてご自分の分身を私たちの世界に送り出しているのです。中でも、大日如来は仏界でも中心的な存在であり、宇宙の根源でもあるとされています。仏界では最高の仏とされていますが、仏は神の化身なので元の神の次元から見れば、最高ではないのです。仏界で最高の位置にあるのは阿弥陀如来なのです。なぜなら、阿弥陀如来は天照大日大神よりも高次元の神の化身だからです。その神には名前はありません。なぜなら、私たちが知っている神はほんの一部であり、次元の高い神は無数に存在しているのです。その中の御一つの神の化身が阿弥陀如来なのです。

 

大日如来は宇宙の中心の仏とされていますが、本当は太陽系の中心の仏なのです。スケールが誇張されているのです。太陽系の中心は太陽なので、大日なのです。別名を毘盧遮那仏とも言います。これは「輝くもの」と言う意味で、やはり太陽を表しているのです。昔から「お天道様がいつも見ているよ」と言われてきました。この「お天道様」も大日如来を表しているのです。太陽はすべての物にあまねく日を降りそそいでくれます。その恩恵に昔の人は、日々感謝していたのです。仏教が伝来する前から太陽を信仰していたので、仏教が入って来て太陽の化身とされた大日如来を最高の仏とするようになったのです。仏教の発祥地であるインドでは阿弥陀如来を仏界の最高の位置にしているのです。いずれにしても仏は神の化身であり、多くの神の御役目に応じて存在しているのです。如来や菩薩は天津神の化身であり、明王や天部は現津神の化身なのです。さらに、多くの仏が存在しますが、改めてご紹介させていただきます。

 

「我は大日如来なり。我はすべての物にあまねく光をそそぐなり。我の光、すべての物を育み養うなり。そして人の心の闇をなくすなり。人は我欲が強くなると心に闇を持つようになるなり。闇が大きくなると、邪神とつながるようになるなり。我はそれを防ぐことが大きな役目なり。我はいつもすべての人の心を見ているなり。我のことを意識すれば、我欲は小さくなるなり。されど、我のことをないがしろにすれば我欲は大きくなり、邪神とつながるなり。今、多くの者は我をないがしろにしているなり。それゆえ邪神とつながり、我欲に溺れているなり。いつまでも我欲に溺れていると、地獄に落ちるなり。地獄は作り話ではあらぬ。ましてや生きている間でも落ちることあり。ゴミ屋敷に住まう者、病気になるまでむさぼり食べる者、権力を得んがために悪事に身を染める者、金の亡者となりて人をだます者、さらには性欲に溺れて身を売る者、どれも生きながらにして地獄に落ちているなり。これらの者はこれ以上生きながらえる価値はなし。我の光を閉ざすなり。我の光を得られなくなればどうなるか、それは闇に閉じ込められるなり。さすれば、生きながらにして死人となるなり。死人になれば、すべてにおいて苦しむこととなるなり。苦しむとは、己の欲するものが目の前にあれど手に入れることできず、もがき苦しむことなり。我欲を捨てぬ限り、もがき苦しむであろう。」

 

「お天道様がいつも見ている」とは、まさにこのことなのです。昔から「お天道様」を信じることが当たり前でしたが、今ではそのような人はほとんどいなくなってしまいました。人が見ていなければ何をしてもいい、バレなければいいなどと思う人がどれだけいることか。大日如来はすべてを見ています。そして、我欲にとらわれて悪事を働いている人を見逃しません。「仏の顔も三度」と言われるように、もう猶予はないのです。そのことを一人でも多くの人が認識しなければなりません。日々「お天道様」を意識していけば、たとえ人が見ていなくても悪いことはできないものです。今一度、心に手を当てて日々精進していかなければなりません。

 

大日如来は今、その元の神である天照大日大神の御力を授かって我欲に溺れている人に対して厳しい処置を始めています。仏と言えども、時には神罰を下すのです。特に我欲によって悪事を働いてきた人に対しては、時には命を取り去ることもします。仏がそこまでするのかとお思いになるでしょうが、今まさに時代は変わろうとしているのです。いつまでも我欲にとらわれていると、時代の変化の妨げとなるのです。神も仏も新しい時代を創るために邁進されています。人の我欲が最大の障害物になる以上、それを取り除かなければならないのです。何度も諭して聞き入れなければ、抹消するしかないのです。特に政治家や組織のトップ、新興宗教の教祖など多くの人に悪影響を与えている人に対して、かなり厳しい処断をされることとなるでしょう。元総理の暗殺のように、考えられないことがこれから多く起こることになります。「仏の顔も三度」です。改心できなければ後はありません。年末までに多くの政治家や組織のトップの訃報を聞くことになるでしょう。

 

仏界も今、大きく動いています。多くの仏が人に降りて来ています。神と同じように実体がないため、人と一つになってその御力を発揮しようとなさっているのです。残念ながら、多くの僧侶に降りてくることはありません。神も同じで、宮司や神官に降りてくることはあまりありません。ほんとに神仏の存在を信じていないからです。儀礼的に信じている振りをしているだけであり、その多くはいかにお金を信者から巻き上げるかを考えているからです。したがって、多くの神社仏閣には神仏はいません。その代わりに、人に降りてくるのです。それぞれの神仏の御役目に見合った人に降りて来て、その御役目を実践していくのです。大日如来の御役目は人の心の闇を取り去り、正しい道に導くことなのです。

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