この通信は「魂の誕生」をお伝えします。魂が誕生してからしばらくは肉体に宿ることありませんでした。なぜなら、魂はその意志をまだ明確に持っていなかったからです。ある意味で生まれたての赤ん坊が、その自我をしっかりと持っていないのと同じなのです。魂が誕生しておよそ1億年の間、魂はさまざまなことを体験するのです。
何を体験するのか、それはさまざまな神とコンタクトを取るのです。魂は神から生まれたのですが、その生みの親とは異なる神とコンタクトを取ることで多くのことを学ぶのです。神にはそれぞれの役目があります。その役目を知ることで何を目的にするのかを考えて選ぶのです。もちろん生みの神の役目を尊重しながら。生みの親の神の役目はある意味で抽象的なので、魂はより具体的な目的を模索するのです。たとえば、生みの神の役目が愛することだとすると、愛するにもいろいろあるので、どのように愛するのかを模索するのです。許すことなのか、受け入れることなのか、委ねることなのか、さらには包み込むことなのかと。ある程度具体的な目的が決まってから肉体に宿るのです。その目的が魂の意志なのです。
魂の意志が決まると、さらにその意志をどのように果たすのかを詳細に決めていきます。どのような環境に生まれて、どのような人たちと関わるのか、さらにはどのような仕事に就くのか、どのような人と結婚して子どもは何人にするのか、どのような形で意志を具現化していくのかをある程度決めるのです。もちろんある程度の柔軟性を持たせて。そしていつ頃天寿を全うするかまで決めてくるのです。その時にさまざまな別の魂がサポートしてくれるのです。それらの魂は肉体に宿ることはありません。あくまでもこれから生まれていく魂のサポートをするのです。これらの魂はある意味で学校の先生のようなもので、これから肉体に宿ろうとしている魂を教育することをしているのです。そのような魂を指導霊と呼んでいます。
多くの魂が肉体に宿り、やがてその肉体がなくなるとまた帰ってきて、その人生を振り返った後また指導霊と相談して次に備えるのです。これが輪廻転生なのです。魂は何度も生まれ変わってはその意志をより具現化して果たそうとするのです。しかし、肉体に宿ると感情や我欲にとらわれてしまい、その意志を果たすことがなかなかできなくなってしまうのです。なぜそのようになってしまうのか、そのことが大きな課題となっているのです。肉体に宿ってスムーズに魂の意志を果たすことができてしまうと、生まれて来る価値が小さくなってしまうのです。いろいろもがき苦しみ、悩むことで魂の意志を具現化していくことに価値があるのです。しかし、多くの人は魂の意志を具現化することから遠ざかってしまいました。物やお金に執着することで魂の意志を模索することをしなくなってしまったのです。その結果、何度生まれ変わっても進歩しなくなってしまったのです。
魂がその意志を果たすことが肉体に宿る最大の目的なのに、我欲を満たすためのものに成り下がってしまった以上、転生をくり返す意味はなくなったのです。その終止符を打つ時がやってきたのです。そしてそのことはすでに始まっているのです。
すでにお伝えしていますが、この地球に残って転生をくり返す魂と、他の惑星に移動させられて原始の時代からやり直す魂と、宇宙のもくずとなる魂の選別は大方終わっているのです。そしてそれはすでに始まっているのです。何度もお伝えしていますが、その選別がコロナであり、そのワクチンなのです。そしてこれから激化していく自然災害も。この選別は2024年の末まで続くでしょう。その結果、世界の人口は3分の1以下となり、場合によってはさらに少なくなっていることでしょう。そして、残された人たちもさらに選別されることになります。それは目に見えない存在を信じ、他の人を思いやり助け合うことができる人は神とのつながりが強くなって、いわゆる超能力的な力が使えるようになるでしょう。逆に、残されてもまだ我欲にとらわれている人は、さらなる試練が与えられます。それはおそらく飢餓と病気によって。超能力的な力を持つようになった人は、さほど食べなくても生きていけるのです。さらに、さまざまな病気になることもほとんどなくなるのです。それはおよそ30年かけてなっていくのです。その結果、30年後には世界の人口は現在の10分の1ほどになっているでしょう。
魂がその意志を果たすためには、それなりの研鑽が必要です。そして、あきらめることなく追求していくことが求められます。魂の意志と大きくかけ離れた生き方をしていると、さまざまな支障が生じてきます。事故や病気、人間関係でのトラブルや災難などで。その時に、しっかりと考え直さないとさらなる支障が生じるのです。実は、この通信の202号でしばらく通信を掲載することをお休みするとお伝えしました。私はやっとのんびりできると思った矢先、その晩から左肩に激痛が走り、寝ることもできなくなってしまいました。日中も痛くてほとんど仕事が手に付かず、いろいろと薬を飲んだのですが一向に変わらず二日目の夜を迎えました。五十肩にしては激烈で、動かさなくても激痛が続くのです。あまりの痛さに真夜中に散歩がてら気を紛らわすためにしばらく歩いていいました。そして気付いたのです。この通信を完成させることが私の魂の大きな意志であることを。掲載はしなくても書き続けなければならないのです。そのことに気付き、深夜からこの通信を書き始めると肩の痛みは和らいできて、今現在ほとんどなくなってしまったのです。まさしく魂の意志からそれると支障が出てくることを実感したのです。
病気は何かの気付きを与えてくれるものだと言われます。まさしく魂の意志を模索するためのものなのです。それまでの生き方を考え直させるために、病気によって考える時間を与えてくれているのです。しかし、多くの人は薬や手術で病気は治せるものだと思っています。そのためゆっくり考えることもなく、やり過ごしてしまうのです。多くの病気はその人が魂の意志に気付けば、自ずと治っていくのです。それを薬や手術で無理やり治そうとするので、だんだんとこじれていくのです。闘病と言う言葉がありますが、病気は闘うものではないのです。真摯に受け入れて、それまでの生き方を見直すことで治していくものなのです。ガンと闘って勝つ人はまずいません。闘おうとすればするほどガンも強くなっていくのです。そのことを多くの人は知らないのです。もちろん、医療従事者も。
魂の意志を知る方法があります。それは他の人に何かをしてあげて喜んでもらった時に、自分もうれしいと思えるようなことなのです。決して難しいことではなく、日々の生活の中で行っているささいなことなのです。寝る前にその日を振り返ってみて、そのようなことがなかったかを確認してみるとよいでしょう。そして、自分の本当にやりたいことは何なのかを時々考えてみてもよいでしょう。もちろん、自分のためではなく、人のために。ぜひ魂の意志を確認してみてください。