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新時代通信No200【魂の誕生20】

22年03月17日

この通信は「魂の誕生」をお伝えします。魂のこれからの行方をお伝えしました。多くの魂が地球を去り、または宇宙のもくずとなり、わずかな魂だけが残ることになります。それを選ぶのはもちろん大元の神なのですが、いずれにしても、それぞれの定めを真摯に受け入れなければなりません。

 

魂がその意志を果たすためにはこびり付いた我欲、つまり業を取り除かないといけません。なぜ業がこんなにも多くついてしまったのか、その一つの原因が人として生まれ成長するためには不可欠なことであったからです。人として生きていくためには、食べることや安心して暮らすことができる場所や住処が必要です。人はそれを求めて生きてきました。少しでも多くの食べ物を求め、少しでも安心して暮らせる場所を求めてきたのです。人の数が増えるにつれて、そのような場所の取り合いが始まったのです。力の強い者がより多くの食料と安心して暮らせる場所を独占するようになったのです。それは、サルの群れと同じなのです。ボスがいて、多くのサルがボスの元で暮らしているのです。そして群れ同士が時々争うことである種の均衡を保ってきたのです。サルの場合はある程度の状態になると争いは落ち着いて行くのですが、人間の場合は際限がありません。そのためどんどん領土を拡張して戦いを続け、結局は戦いで多くの兵士や食糧を使い果たして滅びていくのです。過去の歴史がすべてを物語っているのです。

 

際限のない欲望が業を生み出すのです。それは物やお金や土地、さらには食べ物に装飾品などあらゆる物をより多く手に入れたくなるのです。そのため時には人をだましたり、さらには盗んだり、究極は戦争に発展することもあるのです。戦争に良いも悪いもありません、そこには人の我欲しかないのです。争いや戦いを避ける方法は一つしかありません。その場を去るしかないのです。それをしてきたのが縄文人であり、アイヌや沖縄の人たちなのです。元々本州の温暖で肥沃な土地に住んでいたのが、大陸から渡ってきた人たちにその土地を奪われてしまったのです。争うことよりも去ることを選んだのです。争うことはその土地に執着を持っているからです。当然なことですが、住み慣れた土地を手放すことは簡単にはできないことなのですが、縄文人はそれをしていったのです。その結果北海道と沖縄に逃れていったのです。

 

業、それをカルマとも言います。人が行ったすべての行いを言うのですが、その多くは自分の我欲を満たすための行いです。物だけではありません、自分が認められたいとか、自分の思い通りにさせたいとか、少しでも自分が優位に立ちたいとか、自分の地位や名誉を高めたいとか、すべては我欲なのです。ある程度必要な時もありますが、その多くは日常化し肥大していくのです。それが他の人に不快な思いをさせたりとか、萎縮させたりとか、怒らせたりするのです。多くの人は知らず知らずのうちに多くのカルマを積み上げているのです。それも何世代にも渡って。何度も転生する間にこのカルマは膨れ上がるばかりで、一向に解消されてこなかったのです。したがって、これ以上転生する意味がなくなってきたのです。しかし、最後の方法を大元の神は与えてくださったのです。それが感謝と謙虚さなのです。

 

魂にこびりついたカルマが今、少しずつはがされているのです。それは大元の神の愛のエネルギーによって。ただ、はがされる時に痛みを伴います。傷に貼られた絆創膏をはがすとの同じなのです。ただ痛みと言っても肉体的な痛みではなく、その多くは精神的な痛みとなって現れます。因果応報が強制的に起きてくるのです。本来ならば、少しずつ現れてくるものなのですが、一気に現れてくるため精神的にかなり苦しい思いをする人もいます。場合によっては心の病になるかもしれません。しかし、何とかその試練に耐えることができるでしょう。そのことでやっと魂の意志が明確になってくるのです。今まさにその終盤に差し掛かっているのです。後もう一息のところなので、さまざまなことで悩んでいる人は耐えるようにしてください。きっと光が見えてきます。おそらく夏頃までには。この通信は2022年の3月の中旬に書いています。

 

因果応報とは、行ったことや思ったこと、言ったことなどすべてが自分に帰ってくるのです。その多くは人を傷つけたり、苦しめたり、悲しませたり、怒らせたりしたことなのです。時には良かれと思って言ったことが反感を買ったり、逆恨みをされたり、また不快にさせることもあります。人は考え方が異なるため、良かれと思って言ってもそれを素直に受け取ってくれない場合もあるのです。では、何も言わず、ただ当たり障りのないことだけを話していればよいのかということになってしまうのですが、それもまた良いのではありません。人に対して本当に良かれと思って伝える時は、どうしてなのかをしっかりと説明する必要があるのです。ただ、だめだとか否定するだけでは相手は納得しないのです。その説明も十分に理解してもらえるように誠意を持って伝えないといけないのです。それだけのことをした上で相手に伝えないと、十分に思いが伝わらないのです。しかし、現実的には毎回そのようなことができる人はほとんどいません。そのため、さまざまなトラブルが生じてくるのです。

 

ある意味で、人と関わることで私たちはさまざまなことを学ぶのです。自分が感じたことや考えたことを人に伝えることで、そのことを相手がどのように感じるかを見ることで自分の考えを客観的にとらえることができるのです。つまり、自分の顔を直接見ることはできません。鏡などを通さないと見ることはできないのです。それと同じで、自分の考えは人に伝えないとその客観性が見えてこないのです。見えないと、たんなる独りよがりになってしまうのです。独りよがりになると自分はいつも正しいと思うようになり、ますます考え方が隔たってしまうようになるのです。今、多くの人がその傾向を大なり小なり持っています。人と真正面から話すことがなくなって来たからです。ラインやフェイスブックではお気軽にだれとでも話すことができるのですが、そこには本音はあまり表しません。ましてや、面と向かって話す時はなおさらです。本音を伝えることが不慣れなので、怖いのです。その傾向はますます強くなっているのです。このままでは、ますます考え方が偏ってしまうのです。

 

人と本音で話すことができるようになるためには相手のことを尊重し、誠意を持って接することです。そして謙虚な心をもって話していけばきっと相手も同じように接してくれるでしょう。ただ、本音を話す場合はちゃんと相手を選ぶ必要があります。だれでも話していいわけではありません。ではどのようにして選べばよいのか、一つは感情的にならない人、二つ目はいつも穏やかで人の話をちゃんと聞いてくれる人、三つ目は決めつけた言い方をせず、自分で考えることをすすめてくれる人、四つ目はいつも前向きな考え方をしている人が判断基準となるでしょう。そのような人はなかなかいないのですが、この基準により近い人を選んでから話すとよいでしょう。ちなみに私はこの基準を十分に満たしていないので、本音を聞いてあげる資格はないのですが、どうしても見当たらないのであればご相談に乗らせていただきます。

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