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新時代通信No133【日本の神々25】

22年02月28日

この通信は「日本の神々」についてお伝えします。多くの神様はご利益主義ではないのですが、中には人々に恵みを与えてくださる神様もおみえになるのです。人が一番望むものはお金であり、子宝であり、良縁なのですが、その中でもお金を授けていただける神様はさほどないのです。しかし、人のために使うのであれば授けてくれるのです。

 

先回お伝えしたカナヤマヒコノカミ(金山彦神)とカナヤマヒメノカミ(金山姫神)もお金や幸運を授けてくれる神なのですが、もう一つあります。それがタカクラジノカミ(高倉下神)様なのです。別名アメノカグヤマノカミ(天香山神)とも呼ばれています。この神様は人のためにお金を使うのであればどんどん与えてくれる神様です。そんな神様がいるのかとお思いになるでしょうが、お金が人のために使われることを喜んでくれる神様なのです。なぜなら、お金は天からの回り物なので、人のために使うことでどんどん回してくれることを喜んでくれる神様なのです。したがって、自分のために貯め込むような人にはお金を降ろしません。ましてや自分の私利私欲のために使おうとする人にも降ろしません。逆に、偽ってお願いをして万が一にもお金が降りてきても、それがウソだとわかればすべて没収されてしまいます。それまで貯め込んでいたお金も。たとえば税務職員が不意打ちで来たり、火事や地震で財産を一夜にして失くしてしまうのです。したがって安易にこの神様にお願いするべきものではないのです。

 

もう一つ、お金や幸運を授けてくれる神様がいます。それはオオモノヌシノカミ(大物主神)様です。ヤマタノオロチのモデルとされていますが、まったく関係ありません。この神様は人が多くの人のためにお金を使うことをとても喜ぶ神様なのです。したがって、個人的な私利私欲の願い事は一切受け付けません。たとえば昔、川の洪水を防ぐための堤を作るためにその土地の庄屋が自前のお金を出して工事をしようとすると、多くのお金がその庄屋の所に舞い込んできたりしたのです。その結果、庄屋はさらにそのお金で村人が使える農機具を買ったりしたのです。最初は自腹を切っても、どんどん入ってくるので結局は富んでいったのです。この神様はそのようにして、人のためにお金を使う人にどんどん与えることをしてくれるのです。したがって、わざわざこの神様が祀ってある神社に行かなくても、この神様の方からやって来てくれるのです。最近では多くの人に愛されて亡くなった女優の樹木希林さんがまさしくこの神様がついていたのです。自分のことにはあまりお金を使わず夫や家族のために、さらには若い俳優やタレントのためにお金を使っていました。亡くなる間際まで仕事が絶えることはありませんでした。

 

お金は天下の回り物、まさにそのことを実践する人に神様はお金をどんどん回してくれるのです。自分のためだけにお金を一生懸命使う人には、神様は見向きもしません。逆に、そのような人から神様はお金を奪い取ってしまうのです。お金だけならまだしも、時には命まで。和歌山の超資産家が突然死して話題になりましたが、若い女性をお金で買って妻にしたことも明るみとなりました。真相はこれから明らかになるでしょうが、まさしく神によって命を奪われたのです。
お金にまつわる神様がもう一つあります。それはオカミノカミ(淤加美神)様で、雨を降らせる龍神様と言われていますが、本当はお金を降らせる神様なのです。お金を降らせるとは、貧しい人たちに少しでも恵みのお金を行き渡らせるのです。どのようにするのか、実際のお金ではなく、お金になるものを降らせてくれるのです。それが微生物なのです。つまり、多くの作物や果実などがしっかり育つように、土の中の微生物が活発になるようにしてくれるのです。土壌菌が活発になれば多くの恵みがもたらされるのです。しかし、今の農業は農薬と化学肥料によって土壌菌はほとんど死滅しています。したがってこの神様の御役目が果たせないのです。いずれまたそのお力が必要になってくる時が来るでしょう。

 

このように人に恵みをもたらしてくれる神様はちゃんとおみえになるのです。しかし、そのお力と御役目をちゃんと理解していないために、これらの神様のお力が十分に引き出せていないのです。そしてご利益主義を推奨する今の神職や僧侶によってますますおかしくなっているのです。この神様たちは私たちに多くの恵みを与えたくてしょうがないのです。そのためにはそれぞれの神様の本当のお役目とそのお力をしっかりと知る必要があるのです。普通に考えればわかるのですが、私利私欲のお願いを神様がたやすく引き受けてくれるわけがないのです。高額な御祈祷料やお布施を出せば、願い事が叶うなどおかしいと思わなければなりません。地獄の沙汰も金次第と言われますが、まさしく今の多くの神社仏閣は邪神の片棒を担いでいるのです。もちろん、神仏をしっかりと敬っている神社仏閣もあります。それをどう見分けるかが大切なのですが、一つの目安が神職や僧侶が本当に神仏を信じているかにあります。それを知る方法が、神仏に対する挨拶の仕方にあるのです。いかにうやうやしく、そして心から信じているかを態度に現わしているかが問題なのです。

 

多くの神職や僧侶は形式だけにとらわれているので所作は立派にこなしますが、心から信じているかどうかはその一挙手一投足に現れるのです。特に拝礼をどこまで深く、長くできるかが目安となるでしょう。一般的よりも長いと感じるぐらいが目安となります。もちろん長ければいいと言うわけではありませんが、私たちの感覚で長いと思うぐらいに拝礼されていればかなり信じているのだと思ってよいでしょう。もしも、この通信が神職や僧侶の目に留まることがあれば、おそらくもっと真剣に拝礼を行うことになるでしょう。それが神仏を信じることにつながっていくのでよいのです。神職の学校では、まず初めに神が在るものとして立ち振る舞うようにと教えます。目には見えないけど在る、されど心から在るとは信じていないのです。

 

神仏は目には見えません。霊も邪気も、そして邪神も。しかし、まちがいなく存在するのです。それをどこまで信じるかは人それぞれです。まずは少しずつ信じてみましょう。そして神仏に日々感謝を伝えていきましょう。神社仏閣に行かなくても朝と夜には感謝してみましょう。特定の神様でなくていいのです。朝起きたら、神様に「今日もこうして目覚めさせていただいて、ありがとうございます。今日も一日よろしくお願いします。」と心の中で唱え、夜寝る時に「神様、今日も一日無事終えることができたことに感謝いたします。ありがとうございました。」と唱えてください。このことを続けていけば、神様とつながっていくのです。そして信じることが深まっていくのです。先々のことをいろいろと考えてばかりいるよりも、神仏を信じて心を安らかにしていた方がどれほど身体にとっていいかはだれでもわかることです。目に見えない存在を少しずつでよいので信じてみましょう。ちなみに、神様、仏様が一番願い事をお聞きになってくださるのは、人のためを思った願い事なのです。病気が早く治るようにとか、元気になってくれるようにとか、幸せになってくださいとかなのです。

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