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新時代通信No121【日本の神々13】

22年02月08日

この通信は「日本の神々」についてお伝えします。現津神と言えば、アマテラスノカミがその代表的な存在になるのですが、どうしてこの神様が伊勢神宮や熱田神宮で祀られるようになったのか。そして、天皇との関係が深いのはどうしてなのか、そのことについてお伝えします。尚、アマテラスノカミとアマテラスオオヒオホカミは異なった存在です。

 

アマテラスノカミが天皇の先祖であると言われていますが、それは真っ赤な嘘です。何度もお伝えしていますが、神武天皇から大正天皇までは大陸からやって来た王族の血筋を持つ天皇だったのです。昭和天皇からは日本古来のスメラミコトの血筋を持つ天皇なのです。したがって、スメラミコトを先祖とすることが正統なのです。アマテラスノカミはムーの時代に巫女をしていた人の魂が神になったのです。ムーの民もスメラミコトの末裔ですが、その直系ではありません。したがって古事記で伝えられていることはでたらめなのです。しかし、なぜアマテラスノカミを天皇の先祖としたのか、それはこの神が当時一番知られていた神だったのです。古事記が作られた頃、多くの民はさまざまな神を信仰していました。その土地にまつわる神をそれぞれに信仰していたのです。つまり、すべての民が共通して信仰する神はいなかったのです。そこで、当時の天皇は民を掌握するためにすべての民が信仰する神を仕立て上げたのです。そこで、当時一番知られていたアマテラスノカミを自分たちの先祖としたのです。

 

ではなぜこの神が一番知られていたのか、それは太陽神として崇めていたからです。はるか昔から太陽信仰はあったのですが、具体的な名前はありませんでした。およそ3000年前から太陽神を天照神と呼ぶようになったのです。当時は太陽と言う言葉は使わず、御天道様と呼んでいました。天から光が地上に降り注ぐ状態が道に見えたのです。雨雲の間からさす光がまさしくその状態なのです。天からの光の道が御天道様なのです。さらにそれを神からの光の道と人々は考えたのです。天は神、神からの道なので御天道様なのです。この考え方が昔の人の太陽神を信仰する形だったのです。それはだれでも信じることができる、そして一番身近な神でもあったのです。そこでこの太陽神をより神として神格化して信仰させようとしてアマテラスノカミを一体化させたのです。天、神が照らす神、つまり、人々をいつも照らす神としたのです。それはとてもわかりやすくて、なじみ深いので多くの人に受け入れられたのです。

 

このようにしてアマテラスノカミは人々に一番受け入れやすい神ということで、天皇の先祖としたのです。しかし、それはあくまでも権力者の権威を仕立て上げるもので、多くの人はそれを信じませんでした。やがて時代は流れ、江戸時代になるとお伊勢参りが盛んになり、アマテラスノカミの知名度は高くなり、全国に浸透していったのです。そして明治になると天皇の権威をより強化するために、伊勢神宮や熱田神宮の格式をより高いものにしたのです。それまでは普通の神社と格式は変わらなかったのですが、明治政府の力で特別な存在になったのです。熱田神宮に祀られているとされる草薙の剣と勾玉は、古くからあったのですが、実は多くの神社にもあったのです。それを熱田の特有なものにしたのです。
伊勢神宮の20年に1度の式年遷宮は1300年前から続けられていますが、その間何度も中断されています。資金面で困難になったからです。天皇の財力が時代によって変わったからです。そして時の政権の援助も関係していて、スポンサーの財政援助の有無に影響されてきたのです。明治の時代から、政府が全面的にバックアップするようになって来てからは、安定して行われるようになったのですが、戦後はしばらく途絶えていました。そして先の遷宮では、大々的に執り行われたのです。遷宮の本当の目的は、アマテラスノカミの権威を多くの人に知らしめることなのです。遷宮にかかる費用を多くの人に募らせるようにして、その存在をアピールしたのです。多額なお金を寄付することで、いやおなしにこの神を意識するようになるのです。また、この神の御利益を乞うようにもなるのです。そのために遷宮が行われるのです。

 

遷宮はその拝殿を作る宮大工の技術の継承のためだとか、神のお住まいになられる場をいつも良い状態にしておくためだとか、いろいろ言われていますが、真の目的は多額の寄付を募ることで多くの人に意識を向けさせることだったのです。このようなことを言ってしまうと、神社本庁から敵対視されてしまいますが、真実を伝えることがこの通信の役目でもあるため、反感を買うことをわかってでもあえてお伝えしているのです。何度もお伝えしていますが、アマテラスノカミは天皇の先祖ではありません。この神は人々に多くの愛を与える神であり、そして人々の心を癒す神でもあるのです。天皇のためにある神ではないのです。さまざまな式典が伊勢神宮や熱田神宮で行われますが、その多くはこの神の権威を高めるためのもので、この神はそのことを望んでいるのではありません。したがって多くの式典は不要なのです。ただこの神が望んでいるのは多くの人がこの神に寄り添い、人と人が和合することなのです。格式と形式ばかりがまかり通っている今の状態を、この神は憂いているのです。

 

アマテラスノカミが望んでいるのは多くの人たちが助け合い、思いやり、そして平和に暮らすことなのです。形式や格式などはどうでもいいのです。人々と共にある存在でいたいのです。格式を設けることで特別な存在に祭り上げられてしまったことを、この神は哀しんでおられるのです。拝殿の奥には天皇しか入れません。天皇のための神ではないのです。多くの民のための神なのです。そのことをわかっていただけたらと思います。

 

多くの神社はそれぞれの神を祀っていますが、人と神の関係をある意味で遠ざけているのです。宮司や神主だけが神と直接つながることができる存在だと思わせているのです。残念ながら多くの宮司や神主は心から神の存在を信じていません。なぜなら、これらを育てる神学校では、初めから神の存在を否定しているからです。神が存在しているかのごとく振舞えと教えているのです。そのように教えられてきた人たちに神に仕える資格はありません。残念ながら神を使ったお金儲けをする人にすぎないのです。その大元が神社本庁になるのです。ここでは、全国の神社からの上納金を厳しく取り立てています。神社の格式によって上納金は決まっていて、毎年いくら上納するかが決まっているのです。そのため、各神社の宮司や神主はそのお金を稼ぐために、あの手この手で参拝客を集めるのです。さまざまなご利益があると宣伝し、お札やお守り、絵馬などを売り込むのです。まったくもって嘆かわしいことなのです。

 

神社は日頃の感謝を伝えに行く所。ご利益を祈願するためにあるのではありません。ただ、人のために祈ることはお許しになられます。そのことをしっかりと認識してください。

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