この通信は人類の誕生をお伝えします。人類が今の状態になったのはおよそ50万年前からですが、その前から住んでいた人類がいたのです。それは他の惑星から移住してきた異星人なのです。人類と同じように宇宙人によって創られたのですが、やはり核戦争などで住めなくなって地球に移住してきたのです。
異星人はいろいろありますが、今でもその血筋を残しているのがヨーロッパの地中海と黒海の間にあるエーゲ海の島々に住む人たちなのです。この島に住む人たちは独自の文化を持っていてギリシャ領内にあるにもかかわらず、独自の言語と文化を持っています。また、インカやマヤもそうです。さらにチベットやエスキモーも。それぞれシリウスやプレアデス、オリオンとは異なる惑星から直接やってきて地球に住み着いたのです。しかし、オリオンの核戦争に巻き込まれて、やはり原始の時代から幾度もやり直しているのです。ペルーのイカ海岸で、大きな安山岩に人類と恐竜が共存する絵が刻み込まれているものがいくつか発見されました。その発見者の名前からカブレラストーンと名付けられた石には人類が恐竜に乗っていたり、外科手術をする様子や、数十億年前の世界地図、詳細な天体図、さらには数億年前に絶滅した恐竜の図などが克明に彫られているのです。この石の推定年数はおよそ2億年から3億年前のものだとわかったのですが、人類の誕生よりもはるか昔になるため、考古学上からは抹殺されてしまったのです。
このカブレラストーンこそが異星人が地球にやってきた証なのです。彼らは数十億年前から地球にやってきて、ある一定の間いるとまた自分たちの星に戻って行ったのです。その時に存在した証を残すために、半永久に残る安山岩に詳細な記録を刻み込み、特殊なコーテイングをほどこして残したのです。しかし、そのことを現代の考古学者は認めようとしませんでした。自分たちが今まで研究してきたことが無になるからです。ダーウインの進化論に基づいて発展してきた今の考古学が、完全にくずれてしまうからです。カブレラストーンは闇に葬られそうになりましたが、その発見者の親族が守り通して今も大切に保管されているのです。他にもナスカの地上絵やインカやマヤのピラミッドも異星人が作ったものなのです。異星人はあくまで地球を仮の住まいとしていたので、その多くは去っていきました。しかし、一部の異星人は地球に残ってシリウスやプレアデス、オリオンが創った人類と交配して今に続いているのです。
異星人の血を引く人類は少数ですが、独自の文化を今も継承しています。それぞれの文化を大切にしているのです。日本の縄文人は、今から5万年前に他の惑星から宇宙人によって移住させられたのです。前の惑星ははるか遠くのマゼラン星雲の惑星からやってきたのです。その惑星は星の寿命を終えようとしていたので、一部の異星人をUFOに乗せて来たのです。地球での環境に適応できるようにするためUFOの中で遺伝子操作が行われ、現在の日本人に近い形に変えられたのです。脳も大幅に改良されたので、知能は今の人とほとんど変わりはありませんでした。ただ、テレパシーが使えて平和的だったので文化はさほど発展することなく、最小限の物で満足していたのです。
縄文人を導いたのはすでに日本の高山で30万年前から暮らしていた、スメラミコトとその従者なのです。縄文人が他の惑星から連れてこられた時、日本にはすでに先住者がいました。それはムー大陸に移った人々の一部が、故郷に移住していたのです。つまり、ムーの民の先祖は日本列島で生まれ、その多くがより広いムー大陸に移住したのです。しかし、数万年たってから一部の民が故郷に戻り、暮らしていたのです。なぜなら、日本列島にはスメラミコトがいたからです。ムーの先祖はスメラミコトの元で暮らしていて、さまざまなことをスメラミコトから教わって発展していったのです。そして、手狭になってきた日本列島からムー大陸に移住したのです。その時、スメラミコトの子弟も伴い、ムーの王となって国を治めていったのです。ある意味で日本列島のスメラミコトが本家で、ムーのスメラミコトが分家になるのでうす。したがって、本家を支えるために分家の人たちがやって来たのです。そこに縄文人がやってきたのです。
縄文人もムーの民もシリウスやプレアデスによって創られたので、平和を好み共存していったのです。ただ、文化的なレベルがかなり異なっていたため、ムーの民が少しずつ縄文人にさまざまなことを教えていったのです。縄文人はムーの民よりも繁殖力が旺盛だったので、1万年の間におよそ10万倍まで増えて日本列島の各地に住むようになったのです、逆に、ムーの民は文化的レベルはとても高かったのですが、繁殖力は脆弱で子孫を残すことがあまりできませんでした。その結果、日本列島には縄文人だけが住むようになったのです。縄文人はムーの民を神と崇めていて、さまざまな所に聖地を作りムーの民を祀ったのです。その多くが古事記に出てくる神々なのです。国津神の多くはムーの民なのです。そして、ムーの民が生きていた頃の様子が神話となって語り継がれているのです。たとえば、イザナギノカミやイザナミノカミ、ニニギノミコトやコノハナサクヤヒメノカミ、タマヨリヒメノカミにククリヒメノカミ、さらにはワタツミノカミやホデリノカミなどがそうなのです。他にも多くの神がいますが、縄文人が崇めてきた神々の多くはムーの民だったのです。
その後、ムー大陸が沈む時に一部の民が日本列島に避難してきました。その民たちはやはり縄文人と共存し、またいろいろと導いていったのです。しかし、やはりムーの民はしだいにその子孫を残せなくなり、消滅していったのです。そして縄文人はまた神として崇めるようになったのです。その時のムーの民を現津神と呼んでいます。たとえば、オオクニヌシノカミやクシナダヒメノカミなどの出雲にまつわる神々なのです。それに対してムーの民たちが崇めていた神を天津神と言います。その神々はシリウスやプレアデスの宇宙人で、やはりムーの民にいろいろなことを教えていたのです。天津神は古事記の最初に出てくるアメノミナカヌシノカミやタカミムスビノカミ、カミムスビノカミ、アメノトコタチノカミ、クニノトコタチノカミなどなのです。それゆえ日本には多くの神がいるのです。しかし、弥生時代になると大陸から多くのアトランティス系の民がやってきて縄文人の土地を奪い、時には虐殺し、それまで崇めていた神々をすみに追いやって自分たちが崇める神を祀っていったのです。たとえば、稲荷神社や八幡神社、さらには天満宮などがそうです、どれも何かしらのご利益を祈願するための神社でもあるのです。
多くの日本人は縄文人と弥生人のハーフなのですが、特に縄文人の血筋を濃く受け継いでいるのがアイヌの人たちと沖縄の人たちなのです。そして弥生人の血筋を濃く受け継いでいるのが、今の多くの政治家や宗教家、そして企業や組織のトップなのです。ある意味で日本は弥生人に占領されてきたのです。しかし、それもそろそろ終わりを迎えます。縄文人、そしてムーの時代に変わる時がきたのです。