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高次元通信

高次元通信No13【神界6】

24年07月09日

現津神はおよそ1千柱おみえになります。中には名前がない神もいるので、私たちとつながることができるのは、およそ100柱となります。天津神は高次の存在なので、人とつながることはありません。国津神は基本的には自然を守る神なので、やはり人とつながることはないのです。これからおよそ50柱の現津神を簡単にご紹介していきます。

 

【思金神】(おもいがねのかみ)
「我は思金神なり。我は多くの民に人を思いやることの大切さを知らしめているなり。されど、多くの民は己のことばかり考えて、他の者のことをあまり考えておらず。自己中心的になっているなり。しかるに、己のことばかり考えていると人とのつながりがうすれていき、最後は孤独になるなり。孤独になるとさらに己のことばかり考えるようになりて、最終的には自滅するなり。自滅とは、自らの命を絶つことなり。そうなると御霊はしばらくの間、闇の世界に閉じ込められることとなるなり。場合によっては数百年もの間閉じ込められることとなるなり。そのような御霊が今、とても増えているなり。我はそれらの御霊が闇から出られるように取り計らっているなり。しかし、日増しに増えるばかりで、我の力では対応しきれなくなっているなり。これ以上増えることのないよう、今ここで民に伝えるなり。自らの命を絶つことは、大元の神とのつながりを絶つことでもあるなり。一度絶たれたつながりを元に戻すには、途方もない時間がかかることを知っておくがよい。そしてその間、苦しみもがくことになるなり。それは地獄よりも苦しいことなり。そのことをしかと伝えるなり。」

 

【玉祖神】(たまのおやのかみ)
「我は玉祖神なり。我は勾玉を作る神ではあらぬ。我は民の御霊を浄化する神なり。人の御霊は何度も生まれ変わる度に、我欲と言う垢をつけていくなり。垢によってその御霊は曇るようになり、神とつながることができなくなっていくなり。神とつながらなくなるとさらに我欲は強くなり、邪神とつながるようになるなり。邪神も元は人の御霊なり。我欲で真っ黒に曇ってしまったものが邪神なり。邪神は人に我欲を多く持たせることで、己の僕を作ろうとするなり。一度僕になりしは、元に戻ることはできぬなり。我は少しでも民の御霊が曇らぬようにさせることが役目なり。我は民に御霊が我欲で曇らぬように、戒めるなり。戒めるとは、何のために生まれて来たのかを悟らせるなり。人は我欲を満たすために生まれて来たにあらず、他の人の役に立つために生まれてきたなり。そのことをさまざまな形でつたえるなり。」

 

人の魂は本来、純真無垢の状態なのですが、感情のエネルギー体であるアストラル体がこびりついてしまうと、マイナスに傾いてしまい、成仏できなくなってしまうのです。そのような魂がいくつも合体して悪魔のような魔物を生み出し、さらに合体して邪神が生まれるのです。多くの新興宗教はまさに邪神を崇拝しているのです。さかのぼれば、稲荷や八幡もそうなのです。稲荷は商売繁盛を叶えるとうたい、八幡は昔は武運長久を叶えるとうたってきたのです。どちらも、願いを叶えてやるから、しっかりと崇拝しなさいと持っていくのです。そして、僕にしていくのです。

 

【倭姫神】(やまとひめのかみ)
「我は倭姫神なり。我は天照大御神とは何のゆかりもあらず。我は人間以外のすべての生き物が、互いに秩序を持って生存していくことを見守り、育てて行く神なり。されど、人間は我の役目を大いに妨害しているなり。我にとって大切なのは、人間以外の生き物なり。それらを苦しめる人間は、我にとっては敵となるなり。人間以外の生き物を守るために、我は人間をこらしめるなり。すでに数々の形でこらしめてきたが、それでも改めない人間に対し、我は大元の神の御力をお借りしてさらなる戒めを行うなり。それによって多くの人間は亡くなるであろう。ある意味で人間はこの地球には不要な存在にあるなり。されど、大元の神が創り出した魂を成長させるために、一時的に住むことが許されているのであるなり。そのことを人間は知らず、己がこの地球の支配者であるかの如く振るまっているなり。そのような横暴な振る舞いは、これ以上許すわけにはいかぬなり。このまま人間が横暴な振る舞いが続くのであれば、多くの人間を抹消するしかあらず。そのお許しを大元の神からいただいているなり。いよいよそれを実行する時が来たなり。」

 

【玉依姫神】(たまよりひめのかみ)
「我は玉依姫神なり。我は神武天皇の母ではあらぬ。ましてやサメなどではあらぬ。われはムーの時代に巫女として生きていたなり。我は、大元の神から伝えてくることを民に伝えてきたなり。特に人が人としていく術を。されど、今の多くの民は自らの我欲を満たすために人をだましたり、時に殺したりするなり。人としての理を大きく踏み外しているなり。今一度、人としてどう生きていくのかを知らなければならず。我の役目を果たす時がきたなり。我は人と一つになりて、我の役目を果たすなり。われの力を授かった者が、人の理を自ら実践するなり。理は理屈ではあらぬ。実践してこそ初めてわかることなり。今の世は人の理を説き、まるで己が神のごとく振る舞う者あり。さらに人から多くのお金を集めることをするために、己を神の代行者と偽る者もあるなり。お金で救われることなどあるはずがなし。そのような狂言を信じる者もいずれは自滅するなり。人の理を実践する者だけが残されていくなり。」

 

【大年神】(おおとしがみ)
「我は大年神なり。我は多くの星と人々の関係を伝えてきたなり。人はさまざまな星の力を受けているなり。それを知ることで人生を豊かにすることができるなり。人は先のことがわからぬゆえ、時として不安になる時があるなり。星の影響を知ることである程度の先のことはわかるようになるなり。それをどこまで信じて活用するかはひとそれぞれなり。しかし、まちがいなく星の力は働いているなり。まぜなら星には意志があり、人にいつも働きかけているからであるなり。人は生きていく上で、さまざまな目に見えない存在の力の恩恵を受けているのであるなり。人は得てして、自分一人で生きていると思っているけれど、しょせん人の力などはたかが知れているなり。多くの目に見えない存在の力無しでは、生きていけないのであるなり。そのことを今一度しっかりと認識するがよい。特に、人の生き死には星の力によって決められるなり。いくらもがいてみても、星の力に抗うことはできぬのであるなり。」

 

多くの神はそれぞれの役目を確実に果たしています。したがって、それぞれの神の御役目をしっかり認識しておかないと、神とつながることはできないのです。あまりにも、真実とかけはなれたことが行きわたっています。多くの神は本当に嘆いているのです。

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