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神時代通信

神時代通信No74【薬師如来】

24年02月14日

昔は、今のような薬などの治療方法がなかったので、病気になると多くの人は薬師如来にすがったのです。そのため、薬師如来を祀る寺院が多くあったのです。多くの仏の中で、現世の御利益を叶えてくれる唯一の仏としても人気があったのです。しかし、薬師如来の本当の御役目は単に病気を治すことではないのです。

 

病気が治っても、人はいずれは死んでしまいます。であれば、どうして病気を治す必要があるのか。それは、何のために生きるのかを悟らせるためなのです。ガンなどの大病になって、奇跡的に回復した人の多くは人生観が変わることがあります。それまで自分のことばかり考えていた人が、少しでも人のために役に立ちたいと、ボランティア活動に参加するようになったりします。また、家族や知人に対する接し方が変わって、ちょっとしたことでも感謝を伝えるようになります。健康な時は気づかないことも、病気になって初めて気づくことがあるのです。薬師如来は、そのことを気づかせるために病気を治すのです。

 

多くの人は、薬師如来は病気を治してくれる仏様だと思い込んでいますが、実は何のために生きるのかを悟らせる仏であることを知らないのです。そのため、病気が治ってもちゃんと悟らないと、また病気になってしまうようにさせられるのです。そのことを何度もくり返していると、結局は病気で苦しんで死んでいくのです。「仏の顔も三度」と言われるように、いつまでも悟ることができないと、薬師如来も見放してしまうのです。また、病気を治したいことだけを一心に願っても、やはり何のために生きるのかを悟らなければ、その願いも叶えてくれないのです。病気が治ったら、人のために何かしらのことをしますと誓うことが大切なのです。そのようなことを、僧侶はちゃんと理解していないため、ただお願いすればいいとしているのです。

 

人はどうして病気になるのか、さまざまな原因がありますが、その多くは何かを悟るために病気になるのです。そのことをしっかり理解していないため、一向に病気は治らないのです。今の医療は薬などによる対処療法が主流になっています。薬で抑えて良い状態を保っているため、治しているわけではないのです。しかし、薬で治ったような錯覚にさせられているため、病気になったことに対してあまり深く考えないのです。なぜ病気になったのか、何か改善すべき生き方があるのではないかを真剣に考えなければならないのです。特に、ガンのような重たい病気になった時こそ、真剣に考えなければならないのです。しかし、多くの人がガンと闘うとか、ガンを克服してみせると強気な発言をします。しかし、ガンと闘って勝った人はいないのです。ガンになったことを謙虚に受け止めて、それまでの生き方を見直し、何を改善すべきかを考えるチャンスを与えられたのだと考えなければならないのです。

 

ガンに限らず、脳梗塞や脳出血、心筋梗塞や大動脈解離などで一命を取り留めた人は、しっかりとそれまでの生き方を考えなければならないのです。それができなければ、また、再発して場合によっては命を亡くすことになるのです。
薬師如来の脇侍には日光菩薩と月光菩薩が仕えています。どうしてなのか、日光菩薩は太陽を、月光菩薩は月を現わしています。薬師如来が医師だとすると、この二つの菩薩は看護師になるわけです。昼も夜も一日中、病んでいる人を見守り、そして看護することを現わしているとされています。しかし、本当は太陽と月の力を現わしているのです。太陽は人に活力と与え、さらに生きる力を高めてくれます。月は人の心を癒し、我欲を少なくさせるのです。「病は気から」と言われるように、多くの病気はストレスや我欲によって生じるので、少しでも我欲を少なくさせるように月光菩薩がその力を発揮するのです。そして、病によって疲弊した体に少しでも活力を与えるために、日光菩薩がその力を発揮するのです。

 

日光菩薩は天照大神の化身であり、月光菩薩は月読神の化身なのです。仏の多くは神の化身なのですが、ある意味で一心同体なのです。明治政府は神道を中心とした社会を作るために、多くの寺院を打ち壊しました。それまでは神社と寺院はいっしょになって祀られていたのです。まさに神仏同一と見なしていたのです。神の方が高次元にあるため、より人に近い存在となった仏がさまざまな形で人を導くようにしているのです。したがって、両者を切り離してしまうと神仏の力が弱まってしまい、人々はあらぬ方向に進んで行ってしまうのです。明治政府は富国強兵の名の元に、朝鮮半島や中国に進出していきました。また、昭和に入ってからさらに海外への進出が強まって、先の大戦を引き起こすこととなったのです。まさに神仏の導きが弱くなってしまい、人々の心は邪神に取りつかれるようになってしまったのです。

 

邪神は、元々は人の霊だったのですが、我欲や執着が強くて成仏することができず、私たちの世界でいつまでもさ迷っていたのが、いくつも合体してできた物なのです。多くの憎しみや恨み、怒りや悲しみの感情が凝縮されているため、同じような感情を多くの人に味合わせようとして人に取りつくのです。その究極が戦争なのです。多くの戦争は邪神が引き起こしているのです。戦争によって家族や愛する人が殺されると、人は強い悲しみと憎しみをいだきます。その感情が邪神にとっての最大のエネルギー源になっているのです。日本は明治に入ってから、多くの戦争をして来ました。まさに邪神の思うツボにはまったのです。そして、戦後はさまざまな新興宗教が乱立して、多くの人たちをとりこにしていったのです。まさに、日本は邪神に凌駕されてしまったのです。

 

今こそ神仏をもう一度しっかりと信じる時がきたのです。日本にはさまざまな神仏がおみえになります。それぞれの御役目がありますが、残念ながらその御役目が正確に伝えられていません。何度もお伝えしているように、古事記や日本書紀の内容はでたらめなので、多くの神社では神々の正確な御役目を伝えていないのです。仏も同じ状態にあります。まずは、神仏の本当の御役目を知り、そして自分が信じたい神仏を決めて、後は日々その神仏に感謝を伝えていくのです。わざわざその神仏が祀ってある神社仏閣に行く必要はありません。日々、感謝を伝えていけば、きっと神仏の方からやって来て下さるでしょう。そして、いずれはその御力を授けて下さるでしょう。これがこれからの宗教の在り方なのです。

 

多くの宗教は人が人を支配するために作られた物、したがって組織化されて、多くの寄付を要求します。立派な神殿や建物などは必要ないのです。ましてや立派な仏像や銅像などもいらないのです。日々、ひたすら感謝を伝え、「どうぞ、私をお使いください」と伝えていくだけなのです。

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