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神時代通信

神時代通信No70【弁才天】

24年02月13日

弁才天は、芸事や音楽などを上達させてくれる神として崇められています。さらに、金運を良くしてくれる神としても。しかし、これも人がかってに作り出したもので、その本当の役目は、歌声やさまざまな楽器の音によって心を癒すようにさせるのです。人の心はちょっとしたことですぐに傷ついてしまいます。その心を癒すのが弁才天なのです。

 

弁才天は七福神にも数えられていますが、琵琶を持った女性の姿となっています。また、水の神様としても崇められています。この神は本来、インドのヒンズー教の神だったのですが、仏教でも取り入られるようになり、さらに日本の神道とも融合して、現在に至っているのです。水の神として広島の厳島神社や琵琶湖の竹生島神社、そして神奈川県の江の島神社で祀られていますが、基本的には女性の姿をしています。また、鎌倉では銭洗い弁天としても有名で、ここでお金を洗うと金運がよくなると言われています。さまざまなご利益があるとされていますが、何度もお伝えしているように、多くの神仏はご利益を与えるために存在しているわけではないのです。

 

弁才天の本当の御役目は、人の心を癒すことにあるのです。人の心はさまざまなことで傷ついたり、落ち込んだりします。「こころ」は「コロコロ変わる」からきているのです。人はいつも一喜一憂しています。喜んだり悲しんだり、怒ったりはしゃいだりします。それが人として生まれてきた目的でもあるのですが、どうしても悲しんだり苦しんだりすることが多くなってしまいます。その時に、少しでも心を癒して前向きに生きていくことをさせてくれるのが弁才天なのです。世界中で昔から歌は歌われてきました。苦しい作業をする時にみんなで歌うことで、苦しさを少しでもまぎらわしてきました。死者を葬る時も、悲しみを癒すために歌が歌われることもよくあります。アフリカの人たちは生活の中に歌がいつもあって、嬉しい時も悲しい時も、そして苦しい時も辛い時も、いつも歌によって心を癒してきたのです。それがブルースやジャズとなって、世界に広がったのです。

 

日本では、民謡や童謡、唱歌などが人の心を癒してきました。さらに、演歌や歌謡曲などさまざまなジャンルの歌がありますが、これだけ多様な歌が歌われている国は他にありません。なぜなら、日本は弁才天の力が強く働いているのです。日本人は本来、争うことを避けてきました。大陸から移住してきた人たちに土地をうばわれ、さらに虐殺されてきました。常に虐げられてきたため、少しでもその人たちの心を癒すために弁才天が歌を与えたのです。その唄が民謡や童謡となって歌い継がれてきたのです。さらに、演歌や歌謡曲となって歌い継がれているのです。最近の歌はメロディーや踊りが主体で、見た目を重きにしているため、心を癒す力はありません。

 

歌はさまざまな力を持っていますが、どんなに苦しくても前を向いて生きていく力を与えてくれる歌こそが、弁才天の力が宿っているのです。最近の歌では、SMAPの「世界に一つだけの花」や、秋川雅史の「千の風になって」などがあります。これらの歌には、人の心を強く癒す力が宿っているのです。

人の心を癒すのは歌だけではありません。さまざまな楽器も、人の心を癒してくれます。日本古来の楽器には、琴や尺八、和太鼓や琵琶などがあります。どれも単調な音色ではありますが、心に響く力を持っています。西洋の楽器はさまざまなものがありますが、音階がさまざまで高音から低音まで多くの音色を奏でることができます。しかし、多様であるがゆえに、心を癒す力は弱くなってしまうのです。心に沁みる音色を出す楽器は、単調であればあるほど深く沁みてくるのです。

私たちの心は歌や楽器によっていつも癒されているのですが、実は自然の音にも癒されているのです。川のせせらぎや声のさえずり、虫の音色や風のそよぎなどにも癒されているのです。特に日本人は、自然の音に対する感性が高く、これらの音を好む傾向があります。日本人は昔から自然と共生する生き方をしてきためで、自然のさまざまな音を聞くことで心を育んできたのです。しかし、その心も残念ながら今の若い人たちには、十分に引き継がれなくなってきました。そのため、心が傷つきやすくなっているのです。

 

「我は弁才天なり。我はさまざまな音色によって人の心を癒すなり。それは歌声であったり、楽器であったり、虫の音色であったりするなり。我はお金を授ける神にあらず。ましてや人の芸事を達者にする神でもあらず。それは人がかってに祭り上げたものなり。いくら我にお金や芸事を祈っても、叶わぬなり。しかと心得るがよい。人の心は弱きものゆえ、我がさまざまな音色によって癒すなり。我の力を授かった者は、その唄声や楽器を奏でることで多くの人の心を癒すなり。今、多くの人が心を病んでいるなり。今こそ我の力が必要とされるなり。我の力を発揮するためには、我の手足となりて動く者が必要なり。その者の出現を待っているなり。できれば若い女子が良きなり。心が澄んでいて、穢れを知らぬ者が良い。我の力を十二分に発揮することができよう。我の元にやってくるがよい。さすれば我の力を授けるなり。

 

心が澄んで穢れを知らぬ者とは、まだ初潮を迎えていない女子のことです。年で言えば10歳ぐらいになるのですが、そのような子がどうやって弁才天の力を授かるのか。実は、日本ではお祭りや神事に昔からこのぐらいの年の女子が稚児として行事に参加してきました。穢れを知らぬ子どもには、神仏が降りてくるとされていて、さまざまな神事に必要とされてきたのです。弁才天も稚児に宿ることで、その力を発揮してきたのです。今となっては、そのことを知っている人はほとんどいませんが、稚児の唄声を聞くことで人の心は癒されるのです。稚児が参加するお祭りや神事に、ぜひ参加するとよいでしょう。

 

稚児だけでなく、弁才天は多くの人にその力を授けようとしています。それは女子だけではなく、男子や大人の男性、女性にも。どのような人が弁才天の力を授かることができるのか、それは歌や楽器を愛し、心から人に聞いてもらいたい、喜んでもらいたいと思っている人なのです。今はカラオケなどで歌うことで、歌がとてもうまい人が多くいますが、その多くは自己満足のために歌っている人がほとんどなのです。また、多くのプロの歌手や楽器の演奏者も、確かに音楽は好きなのですが、プロとしてお金を稼がないといけないので、どうしても売らんがためのものになってしまいます。つまり、お金がからんでいる歌や演奏には、弁才天は力を授けないのです。ただ、売らんがためではなく、本当に歌や演奏が好きで、ひたすら奏でる人には弁才天は力を授けるのです。そのような歌が時々大ヒットするのです。「上を向いて歩こう」、「明日があるさ」、「贈る言葉」などがそうなのです。

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