堕天使の代表がルシファーです。キリスト教では、ルシファーはサタンと同じ意味で使われています。創造主に逆らった大天使ルシファーが、サタンとなって人々の悪の心をそそのかすと言われています。だれでも悪の心と善の心を持っています。しかし、我欲によって悪の心はいつも揺れ動いています。そこに付け込むのがルシファーなのです。
「魔が差す」と言う言葉があります。まさにルシファーであるサタン、悪魔が悪の心を動かすのです。なぜ人は悪の心に傾いてしまうのか、それは人が生きていくために与えられた必要悪でもあるのです。人は時には物を盗んだり、ウソをついたり、そしてだましたりします。戦後の混乱期や、命を守るためには、必要なこともあるのです。しかし、お金のためや、自分の我欲を満たすために、そのようなことをすることは許されないのです。どこまでが許されるのか、それを見極めるのが良心なのです。人がこの世に生まれてきたのは、ある意味でこの良心を試すためでもあるのです。
ルシファーは堕天使ではなく、強い我欲にとらわれてしまい、怒りや憎しみ、嫉妬や恨みの感情を持ったまま死んでしまった人の魂が凝縮してできたものなのです。何千年、何万年もかけて作られてきたため、想像を絶する力を持っているのです。時には神よりも強い力を持つこともあるのです。そのため、昔の人たちは堕天使をとても恐れたのです。堕天使に対応するために、さまざまな方法が考えられましたが、残念ながら堕天使を完全に消滅させることはできない状態にあるのです。今、堕天使である悪魔たちが、最後の悪あがきをしています。大元の神の力によって淘汰され始めているのです。ただ、人に取りついている悪魔は、大元の神の力が及びにくいのです。なぜなら、人の魂と合体しているので、取りつかれている人の魂もいっしょに抹消することになるからです。
悪魔が取りついている人は、さまざまな要因で取りつかれているのですが、その多くは我欲が強くて自己中心的な人に取りつくのです。しかし、先祖や前世の因果で取りついている人もいるため、そのような人は抹消されずにすむのです。いよいよ、人に取りついている悪魔も抹消される時がきました。昨年の12月22日をもって、悪魔や邪気の多くは抹消されました。しかし、人に取りついている物はまだだったのです。次の段階に入ることになったのです。したがって、これから多くの人が亡くなっていくのです。すでに、それは現れ始めています。ここのところ、芸能人や有名人の訃報を多く聞くようになってきました。一般の人も確実に増えているのです。これから急速に増えていき、立秋(8月7日)頃にはピークとなることでしょう。もちろん、日本だけではなく、世界的な規模で。
悪魔が取りついている人の特徴は、普段はおとなしくてやさしい人が多いのですが、時々豹変して異常に怒ったり、とんでもないことを言ったりするのです。さらに、常識はずれな行動をしたり、信じられない言動をするのです。身近にそのような人は多くいるのです。
悪魔だけではありません、いわゆる動物霊や妖怪がついている人も多くいます。動物霊は、本当の動物の霊ではなく、人のネガティブな想念が凝縮されてできた物で、怒りは龍、不安はキツネ、自己中心はタヌキ、嫉妬はヘビとなって取りつくのです。同じような思いを持っていると、自分で引き寄せてしまうのです。妖怪は、物に対する執着の想念が凝縮されてできた物で、お金や性、さまざまな物に対する執着心が妖怪を生み出してきたのです。これらの動物霊や妖怪に取りつかれている人たちは、ある程度、痛い思いをすることになります。それで、考え方を改める人は残されていくのですが、いつまでも改心しないのであれば淘汰されていくのです。それもすでに始まっているのです。感謝と謙虚さを実践するかしないかが、問われているのです。
なぜ、堕天使と言うのか。ヨーロッパでは神と人をつなぐ役目をしている存在を天使と呼んでいました。古い絵画には頭にリングがあって、鳥のような羽根を付けている姿で描かれています。特に小さな子どもが描かれていることが多いのです。日本では天女などで現されています。天使も天女も実際には存在しません。あくまで想像上の存在なのです。しかし、神は存在しているので、目に見えない神と直接つながることができないため、天使や天女のような架空の存在を作って橋渡しをしてくれると信じるようになったのです。特に、キリスト教ではそれを重視したのです。キリストはまさに人と神をつなぐ存在でもあるのです。キリスト自体が神ではなく、天使の代名詞となる存在でもあるのです。そのことを多くの人は理解していません。特に、ヨーロッパやアメリカの人たちは、キリストを神の子として崇めながらも、神として信仰しています。ある意味で混同しているのです。キリストはあくまでも神の代理であるのです。
なぜ、ルシファーが創造主に反逆したのか、いろいろな説がありますが、ルシファーは実は人の代名詞であって、天使ではないのです。神に似せられて創られた人が、我欲にとらわれてしまった状態を堕天使と呼んでいたのです。そして、我欲を強く持ったまま死んだ人の魂がサタンとなったのです。ルシファーは生きている人のことを言い、サタンはその人たちの魂を言っているのです。このような解釈はキリスト教ではされていません。なぜなら、自分たちがルシファーであり、堕天使とは認められないからです。しかし、そのことに気づいてこそ本当の人の在り方がわかってくるのです。人は、善と悪の心を持っています。そのバランスをいかに取るかを試すために生まれてきたのです。悪の心に染まるとサタンとなり、多くの人を苦しめることになるのです。今、ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナが戦争をしています。まさに、多くの人がサタンとなっているのです。だれもが正義のために戦っていると思っています。正義の名の元に人を殺しているのです。これこそがサタンの一番喜ぶ状態なのです。
キリスト教やイスラム教、そしてユダヤ教の原点は同じです。その解釈の仕方が異なるだけで、ある意味で同じ穴の貉(ムジナ)なのです。それゆえ、自分たちの信じる宗教が絶対正しいと主張し、他の宗教を信じる人を排除しようとするのです。このことがまさにサタンの思うつぼとなっているのです。この三つの宗教を信仰している人たちは、これから多くが淘汰されていきます。サタンにまさに魂を売ってしまっているからです。神の名の元に人を殺すことが、本当に正しいことなのかを、今一度見直す時が来ているのです。しかし、なかなかそれはできることはありません。わずかでも真実に気づいた人だけが残されていくでしょう。とても厳しい神判が下される時期がやって来たのです。日本人も同じです。自分が信仰する宗教が唯一であると信じ、他の宗教を排除しようとする人も淘汰されていくのです。