獅子座のデネボラは、アラビア語で「ししの尾」と言う意味だとされています。この獅子であるライオンは、多くの人を食い殺したとも伝えられています。なぜこのようなライオンが星座となったのか、実はこのライオンは架空の物で、人の欲望を象徴しているのです。つまり、魂が肉体に宿ると、時には獅子のようにもなることを現わしているのです。
魂が肉体に宿ると、さまざまな欲望を体験します。欲望があることで文明が発達し、そして人口が増えてきたのです。欲望があまりなければ、いつまでたっても原始の時代を続けてきたのです。ある意味で、欲望は人を増やすための原動力にもなってきたのです。しかし、欲望には際限がありません。人が増えてくると、村を作り、町を作り、さらには国を作り、そして国の領土を広げることで戦争が幾度となく行われてきました。それは今も変わらないのです。戦争はまさに獅子が人を食い殺すのと同じなのです。現に、ロシア兵はウクライナの人を拷問したり、殺りくしています。人は時には、人を平気で殺してしまうのです。それははるか昔から行われてきたことなのです。本来そのようなことはあってはならないことなのですが、いつまでたっても治まることはないのです。
人類が誕生して、幾度も大きな戦争をくり返し、核によって絶滅の危機に陥り、原始の時代から再出発してきました。およそ6度もくり返しているのです。もう後はありません。今度また核による全面的な戦争が起これば、地球自体が崩壊してしまうからです。しかし、もしそのようなことが起こるのであれば、その前に巨大隕石が落下して、人類は消滅させられるのです。そのタイムリミットは後1年と半年なのです。ロシアは今、劣化ウラン弾を使おうとしています。しかし、さらにエスカレートすれば、小型の核爆弾を使うかもしれません。さらにエスカレートすれば大型の核爆弾も使う可能性がでてきます。アメリカや中国、北朝鮮、そしてイランもそれに対応できるようにしています。そのような事態にならないためにも、多くの人が欲望を小さくしていかなければならないのです。戦争反対といくら訴えても、戦争はなくならないのです。
戦争をなくすためには、一人一人が欲望を最小限にしなければなりません。そのためには、今の生活が十分に幸せであると思わなければならないのです。もっといい車に乗りたい、もっと美味しいものを食べたい、もっと広い家に住みたい、欲望は限りがありません。確かにそのように思うことは当然なのですが、強く思いすぎて、そのことにとらわれてしまうとおかしくなってくるのです。今でも十分幸せだけど、もう少しよくなったらいいなと思う程度にとどめておくことが大切なのです。そのことをだれもが実践していけば、争いごとも戦争もなくなっていくことでしょう。
そして、少しでも自分より貧しい人に寄付をしたり、物をゆずってあげたりすることも必要なのです。そのことを一人一人がたとえわずかであっても実践していくことで、貧富の格差が是正されていき、不公平感がなくなっていくのです。
デネボラでは、どのようにして欲望をコントロールするかを教えているのです。他にも同じようなことを教えている星があります。しかし、究極のところは、欲望をなくすことはできません。そこで、欲望をいかに人のために変えていくかが大きな課題となるのです。自分のための欲望を、人のために変えていくのです。たとえば、お金持ちになりたいと言う欲望を、人のためにいかにお金を集めるか、美味しいものを食べたいと言う思いをいかに美味しいものを作るための畑を作るとか、さらには、少しでも豊かな生活をしたいと言う思いを、他の人が豊かになることで自分も豊かになると思えるようになるように変えていくのです。自分だけが豊かになるのではなく、すべての人が豊かになっていくことを考えるのです。そのような考え方の変換を学ぶのがデネボラなのです。
人は、まず自分のことを考えます。当然のことなのですが、しかし自分のことばかり考えていると、少しずつおかしくなっていくのです。自分のことも考えながら、周りの人のことも考えていくのです。自分さえよければよいと言う考え方が争いを生み出すのです。そのバランスをどのように保つかが大きな課題となるのです。一番わかりやすいのが、車の運転で対向車にゆずることができるかどうかです。狭い道で、明らかに対向車とすれ違うことができないとき、対向車に先に行かせることがゆずることなのです。このようなことをいつもしていれば、人と争うことはなくなるのです。ちょっとしたことの積み重ねなのです。だれもがそのようにしていくことで、戦争はなくなっていくのです。日本人は特にそのようなことをする人が多い国で、順番待ちで長い列を作っても、しっかりと自分の順番を守るのです。東日本大震災の被災地で、スーパーに長蛇の列が整然と並んでいる姿が世界に報じられて、外国の人たちが絶賛したほどです。寒い中を何時間も耐えて、だれ一人抜け駆けすることもなく並んでいることは、他の国では考えられないことなのです。
自分さえよければよいと言う考えをいかに制御するかが、大きな課題となるのです。だれでも自分はかわいいものです。しかし、だれもがそれをしてしまったら、収拾がつかなくなってしまうのです。そのことを多くの人が認識できるようにさせることが、デネボラで学んだ魂を持っている人なのです。その魂を持っている人が、日本では女優の「吉永小百合」や俳優の「高倉健」だったのです。さらに、歌手の「中島みゆき」や「さだまさし」などのひとなのです。彼らは、いくら有名になってもえらぶることなく、いつも謙虚で自分の仕事に誇りを持って懸命に取り組んでいます。芸能人や俳優、歌手の中には、少し売れるとすぐに有頂天になって、羽目を外す人がいます。あまりにも愚かなことなのですが、実は一般の人でもよくあることなのです。少し羽振りがよくなると、ついつい羽目を外してしまうのです。そこには、自分さえよければいいと言う考えが根底にあるのです。
デネボラで学んだ魂を持っている人は、とても謙虚でいつも周りの人に気配りをします。さほど多くはないのですが、皆さんの身近にもいるのです。そのような人を少しでも見習っていくとよいでしょう。自分のことを自慢したり、いつも人のことを非難する人は、残念ながらこれからの時代では生きていけなくなるでしょう。すでにその淘汰は始まっています。これからさらに加速していきます。しかし、まだ猶予はあります。感謝と謙虚さを少しでも実践していけば、きっと残される側となるでしょう。このようなことをすでに何度もお伝えしてきていますが、なかなか、現実としては変わりません。したがって、もうこれ以上このようことお伝えすることは終わりとさせていただきます。これから、心筋梗塞、脳梗塞、ガン、そして不慮の事故や不特定の殺傷事件などで、多くの人が亡くなっていくことでしょう。