日本の教育は戦後、アメリカのGHQの介入で大きく歪曲されてしまいました。日本人のアイデンティティをつぶすことが行われてきたのです。つまり、日本人が誇りと自信が持てないようにさせてきたのです。知識ばかりを詰め込むことに専念させて、日本人として、人としてどのように生きていくべきなのかを、教えないようにさせてきたのです。
戦前まで日本の教育では、天皇を中心にした精神的な教育が行われてきました。江戸時代までは、武士は主君のために命をなげうってまでも仕えることを小さい時から叩き込まれてきました。その特性を明治政府は君主から天皇に置き換え、さらに国民すべてに浸透させていったのです。確かに、国が国民をある種のマインドコントロール化するための手段として使ってきたのですが、そのことで国民は誇りと日本人としてのアイデンティティを持つことができるようになったのです。これはとてもデリケートな問題ではあるのですが、天皇制をどのように普及させていくかが大きな課題となるのです。
天皇は神武天皇より2600年続く、世界でも最古となる国の象徴とされていますが、実際にはもっと古くから存在しているのです。正規には認められていない古文書には、30万年前から天皇は存在し、当時はスメラミコトと呼ばれていました。高山や長野を中心に住まわれて、人々にさまざまなことを伝えていたのです。一説には、世界の言語と文明はこのスメラミコトの子弟が世界各地に出向いて伝えたとされています。漢字は、ある意味での逆輸入なのです。スメラミコトの血を引き継いでいるのが現在の天皇と愛子様なのです。3000年ほど前から主に朝鮮半島から多くの人が移り住むようになり、それまでスメラミコトを中心にして平和に暮らしていた縄文人は、大陸からの移住者に侵略され、住んでいる土地を奪われ、時には虐殺されていきました。スメラミコトはそれらの移住者にこの国の統治をゆずることで、縄文人を守ろうとしたのです。
大陸からの移住者はスメラミコトと姻戚関係を結ぶことで、この国の正式な統治者を名乗るようになったのです。その初代が神武天皇なのです。古事記や日本書紀は、神武天皇が日本古来の神々の末裔であることをこじつけるために書かれた、捏造本なのです。神武天皇の母親とされている玉依姫神(タマヨリヒメノカミ)は、一説にはサメであったされています。これは本当のサメではなく、海を渡ってきた大陸からの移住者を指しているのです。とても凶暴で残虐性をもっていることを現しているのです。それ以来、歴代の天皇は朝鮮の血を引き継いできたのですが、昭和天皇になってスメラミコトの直系となったのです。このことについては、次号で詳しくお伝えします。ちなみに、秋篠宮は朝鮮由来の血を引き継いでいるのです。つまり、父親が異なるのです。このようなことを公表すると、私も命を狙われることになるのですが、多くの目に見えない存在が守ってくださるようになったので、あえて公にすることができるようになったのです。
ちなみに、暗殺された元総理も朝鮮の血を強く引き継いでいたのです。歴代の総理の多くは皆同じなのです。このことについても、次号で詳しくお伝えします。
これからの日本の教育は、まず、日本人とはいかなる存在なのかを正しく教えることが基本となります。そして、一人一人の個性を尊重し、それを育てていくことを主体としたものに変えていかなければならないのです。知識ばかりを詰め込み、みんなと同じようにしなければならないと強要する今の教育は、そろそろ終わらせる時がきたのです。そのための第一歩が文部科学省と教育委員会を排除することなのです。どのように実践していくかは、やはり次号で詳しくお伝えしますが、いずれにしても教育の大改革が必要となっています。
現在、小学校では学習障害や多動性障害などで授業についていけず、支援学級で対応している児童が急増しています。また、自閉症やアスペルガー、ダウン症などの障害を持っている子どもたちは、特別支援学校で学んでいますが、やはり近年増えています。どうしてこのような子どもたちが増えているのか、さまざまな要因がありますが、一つには子どもたちを均一に育てることを目的としている今の学校教育にとって、均一についていけない子どもを排除する傾向があるのです。学習障害や多動性障害というレッテルを貼ることで、排除しているのです。また、不登校の子どもも急増しています。やはり、均一化に違和感を感じるため、自主的に学校に行かなくなっていくのです。均一化による弊害が今、顕著に現れているのです。
均一化の目的は、大企業の要請によるものなのです。大企業で働いてもらう人材を育てる教育がされているのです。協調性を養うと言う名の元、自己主張をあまりしないように、上の人の命令を従順に聞き、さらには上の命令がたとえ社会通念にあがらうものであっても、従うように育てているのです。つまり、会社のためなら必要悪も受け入れるように。そのように育てられると、当然ながら反発する子どもも出てきます。ひと昔前はぐれたり、非行に走ったり、暴走族になったりと、それなりに自己主張をしていたのですが、今の子供たちは引きこもるようになってしまいました。不登校や自死が増えているのはその現われなのです。これ以上このような子どもたちを増やさないようにしなければなりません。
そして今の教育の弊害になっているのが、部活やスポ少などのスポーツなのです。中学や高校になるほどそれは特化しています。本来は心身を鍛え、スポーツを通して人間性を豊かにするためのものが、勝つことを第一優先にするようになったため、必要以上の練習やトレーニングさせ、さらに指導と言う名の体罰や暴力が横行しているのです。そのことで精神的に傷を負ったり、中には自死する子どももいます。国がスポーツに力を入れているため、教育の現場もそれに合わせているのです。なぜ国はスポーツに力をいれるのか、一つには国民の目をそらすためです。スポーツに夢中になると政治に対して無関心となり、現与党にとっては都合がよくなるのです。今から50年前に盛んだった学生運動は、当時の政府に対する反発であったのです。そのようなことを起こさないように、スポーツでガス抜きをさせているのです。さらに、2年前の東京オリンピックで明らかになったように、スポーツイベントはお金になるからです。政治家や大企業にとっては、ある意味での金づるになるのです。選手はお金を生みだす、打ち出の小槌なのです。
さまざまな形で今の教育はゆがめられているのです。これからの時代を担う子どもたちを育てていく教育を、再構築する時がきたのです。そのためには、教育の現場にたずさわる教師の意識改革が必要なのです。そして、文部科学省と教育委員会の力をいかに弱くしていくかも。この二点が同時に行われて初めて、教育の大改革ができていくのです。