神の御意志を伝えるのがこの通信の役目でもあるのですが、そもそも神の意志とは何なのか。そして神はどのようにして誕生したのか、おそらくそれについて知る人はいないでしょう。しかし、神がどのように誕生したかがわからなくても、その御意志はまちがいなく存在するのです。それを今一度再認識する時が来たようです。
すでにこの通信では、何度も神の意志をお伝えして来ましたが、ただ感謝と謙虚さを実践し、そして人のために動くのだと言われても実感がわきません。また、我欲に走ることがいかによくないかを言われても、人間である以上我欲をなくすことはできません。頭ではわかっていても、なかなかできないのが現実なのです。それでも神はそれをしなさいと言ってきています。実際問題、どうすればよいのかが大きな問題なのです。人は生きていくためには最低限の食べ物と、睡眠と、着る物と、雨露をしのげる家と、わずかばかりのお金があればいいのです。しかし、なかなかそのようには行きません。少しでも良い暮らしをしたいと思うのは当然であり、そのために日々の生活を頑張って生きていけるのです。そのような相反する生き方をどのように折り合いをつけていけばよいのかが問題なのです。
数年前から断捨離が流行り始めました。今もそれを実践している人が多くいます。少しでも不要な物を処分し、身の回りに余分な物を置かないようにしていくことが第一歩となるでしょう。そして、物を大切にして長く使うようにしていく。安いからと言って飛びついて買わないようにする。大量に買うのはひかえて、必要な分だけ買うようにする。特に食べ物は余すことなく使うようにして、食品ロスを極力少なくする。安易に車で出かけないようにして、徒歩や自転車を使うようにする。服や鞄、靴などはしっかりと手入れして長く使うようにする。他にもいろいろありますが、このようなことを続けていけば結果として我欲の少ない生活が送れるようになっていくのです。今までの大量生産、大量消費の時代は終わっていくのです。少しでも資源を大切に使っていく考えを持つようにするとよいでしょう。
そして、ムダな包装やパッケージを失くしていくことをみんなで考えて行く必要があります。日本は特に包装やパッケージに費用をかけます。贈答品に対する文化が古くからあるため、見た目を良くしたり、格式を高めるために包装にかなりの費用をかけてしまうのです。確かに必要な場合もありますが、その多くは捨てられてしまうので、もっと簡素化にしなければならないのです。送る側ももらう側も意識を変えていかなければなりません。さらに、町のネオンサインや街灯、広告塔やイルミネーションなど、電気をムダに使う物は削減していかなければなりません。特に高速道路の街頭や電気表示板、東京タワーなどのネオンサインは不要なのです。夜間電力は安いと言われますが、ただではないので極力なくしていかなければなりません。一番ムダなのが政党助成金や議員の特別費なのです。そのほとんどは私腹に入っていくのです。国民の血税を横領しているのです。ムダな物はどんどん削減していくことが神の御意志に沿った生き方となるのです。ムダな物とは、我欲によって作られた物や購入した物でもあるのです。
ムダな物と言えば、さまざまな条例や規則があります。学校の校則や役所の条例、そしてさまざまな行政の条例がありますが、その多くが不要なのです。国や役所がある意味で国民をしばりつけるものなのです。別の言い方をすれば、国や役所の言いなりにさせるものでもあるのです。そして条例や規則をやたらと難しい内容にして、国民に分かりにくいようにさせているのです。そのことで国民を統制することができるのです。これは戦前からの慣習で、今でも根強く続いているのです。条例や規則をもっと簡素化すれば、役所の人件費もかなり減らすことができるのです。今はネットやスマホの時代です。役所に出向かなくても、大方は自宅ですむことが可能なのです。しかし、さまざまな既得権がからんでいる今の日本の社会は、がんじがらめになってしまっているのです。それを打破しない限り、新しい時代を迎えることはできないのです。
日本人の良さは何ですかと、聞かれたら何と答えますか。おそらく多くの日本人は答えることはできないでしょう。外国に行った若者がこのような質問をされて、ちゃんと答えられなくて寂しい思いをしているのです。本来ならば、親や学校でそれをきちんと幼い時から教えていかないといけないのです。しかし、戦後の学校教育はアメリカのGHQの力で、日本人としての誇りとアイデンティティを否定する教育をするように仕向けられてきたのです。日本人としての誇りを持つことを否定されて来たのです。つまり、日本人のアイデンティティ、つまり日本人としての確固たる特性や性質をきちんと学んできていないため、日本人に生まれて来た誇りが持てないのです。他の国では自分の国を誇りに思っています。発展国であれ、途上国であれ、自分の生まれた国を誇りに思っているのです。唯一日本だけが、日本人だけが起こりを持てないのです。戦後、そのよう教育されてきたのです。
では、日本人の特性とは何なのか、それは人と人が助け合い、場合によっては人のために自分の命までも投げ出してしまう尊いことをすることができる民族なのです。そのすばらしい特性を悪用したのが一部の権力者であり、政治家なのです。江戸時代の頃から、日本人は使える人のためであれば己の命を自ら差し出すことをいとわないように教育されてきました。もちろんそれは武士の社会だけのことなのですが、その思想を明治政府は全国民に押し付けようとしたのです。そのためには、それに相応する存在が必要だったのです。それが天皇だったのです。当時天皇は、雲の上の存在だったので、一般庶民は天皇の存在を知らなかったのです。それを知らしめるために神道を重視して、仏教を軽視するようになったのです。さらに、小学校のころから古事記を学ばし、天皇に対する忠誠心を学ばせていったのです。
日本人の特性は、縄文人の特性でもあるのです。人のために自らの命もなげ出すことができる事が日本人の特性なのです。とても尊いことなのですが、一歩間違ってしまうと、とんでもないことになってしまうのです。その日本人の潜在的は底力を危惧したアメリカは、戦後の教育を徹底的に変えていったのです。その結果が今ある姿なのです。自分が何ものであるかを知らない国民があまりにも多くいるのです。日本人の特性は人のことを思いやり、そして自分のことよりも他の人のことを優先することなのです。そのようなことをする人はほとんどありません。このような日本人の潜在的な力を封じ込める教育が今もなされているのです。もうそのようなことをすることは神が御許しにならなくなってきたのです。神こそがまさに、人のためにすべてを捧げてくれる存在なのです。つまりは、日本人は神に近い存在でもあり、すばらしい力を持っているのです。そろそろそれを開花する時がやって来たようです。