神はいつも私たちを見ています。人は得てして、見える物しか信じないので、神がいつも見ているとは思っていません。しかし、昔から「お天道様がいつも見ているよ」と言われてきました。そのような考え方がすたれてしまったため、神がいつも見ているとは思わなくなったのです。神はいつも見ているのです。
人は何のために生まれて来たのか、己の我欲を満たすために生まれて来たのではありません。どんなに辛いことがあってもそれを乗り越えて、人のためになることをするために生まれてきたのです。そのことを多くの人は忘れてしまっているのです。なぜ、忘れてしまったのか、それは我欲を満たすことの方が楽しくて楽だからです。人はだれしも楽なこと、楽しいことを選びます。苦しいことをわざわざ選ぶことはありません。しかし、中にはあえて苦しい道を選ぶ人もいます。山岳信仰の修験者や、フルマラソンや山岳マラソンに挑む人、さらには断食や滝修行をする人など、苦しい思いをすることにチャレンジする人もいます。苦しい思いをして得られるものに価値を見出そうとしているのです。
私も数々の山登りやマラソン、そしてサイクリングにチャレンジしてきました。最近は近場の山を軽く走っています。そのことで得られることは苦しい思いをした後の達成感と、充実感です。生きていることの証明を得るようです。人はそのようなことを体験するために生まれてきたのです。単に、我欲を満たすために生まれてきたのではないのです。そして、人のために何ができるのかを模索して、できる範囲内で継続してやっていくのです。我欲にとらわれてしまうと人は邪気や動物霊に取りつかれるようになり、さらには邪神に取りつかれて我欲の鬼となるのです。そうなったら、元に戻ることは難しくなるのです。
すでにお伝えしていますが、動物霊は本当の動物の霊ではなく、人のマイナス想念が凝集してできたものです。怒りは龍、不安はキツネ、我が強いとタヌキ、恨みはヘビ、憎しみはネコのような性質となるのです。妖怪は、人の物に対する執着の思いが凝縮してできたのです。お金や土地、食べ物やお酒、異性に対する性欲やさまざまな物に対する執着が妖怪を作り出しているのです。漫画家の水木しげるはそれを感じ取っていたのでしょう。邪神は我欲が強くなり、動物霊が取りついてさらに我欲が強くなって、正常な状態に戻れなくなると取りつくのです。一度取りつくと元には戻れなくなります。邪神も元は人の魂が凝縮してできたのです。何百年、何千年とかけて我欲に取りつかれた霊が凝縮してできたものなのです。神とありますが、神とは真逆の存在でもあるのです。
このような存在が今、私たちの世界でうごめいています。少しでも人に取りついて、まさしく悪の世界に引き込もうとしているのです。そのような状態になったからこそ、大元の神は大いなるご決断を下されたのです。邪気や動物霊、そして邪神に取りつかれた人ともども抹消するのです。まさしく大ナタを振るわれる時が来たのです。それはすでに始まっています。
人は何度も生まれ変わります。さまざまなことを経験するために。およそ数百年の単位で生まれ変わるのですが、何度も生まれ変わることで本来は魂の次元を上げていくのです。そして、最終的には神の元に帰っていくのです。しかし、我欲に取りつかれてしますと、何度生まれ変わっても次元は上がらず、同じ次元をさ迷い続けることになるのです。場合によってはさらに低い次元に陥ってしまうのです。それでは生まれ変わる意味がなくなってくるのです。次元が上がるということは、我欲が少なくなっていくのです。そして感謝と謙虚さを日々実践していくことになるのです。田舎のおばあちゃんが、「ありがたい、ありがたい」と口癖のように言う状態が生まれ変わることが最後になった証なのです。一人でも多くの人がそのような状態にならなければならないのです。
今現在の一つ前を前世と言います。二つ目より前はすべて過去世と言います。人は前世の影響を大なり小なり受けています。特に、前世が何か志を持って人を助けたり、お世話をしていて、病気や戦争で志半ばで亡くなってしまうと、その志を引き継いでもらうために、分身の魂を生み出すのです。母親が子どもを産むように。前世は肉体がないので、自分の分身の魂が宿った人の守護霊として導いていくのです。たとえば、前世が修道女で、病人や飢えた人のお世話をしていて、病気などで若くして亡くなってしまうと、今世では看護師として同じようなことをしていくように導かれていくのです。また、音楽家だった人が同じように若くして亡くなってしまい、今世も前世と同じような楽器を弾くようになったりします。そして、単に導かれるだけでなく、前世が習得した技術や感性もそのまま引き継がれることもあるのです。天才的なピアニストやバイオリニストなどはそのケースが多いのです。楽器だけでなく、職人や芸術家、さらには教師などもこのようなケースがよくあります。
前世の影響はよい面ばかりではありません。前世で苦しんだことや悲しんだことが今世に影響を及ぼすこともよくあるのです。小さい頃からやたらと人の目が気になり、不安やパニックになりやすい人がいて、前世を調べてみると、多くの人に迫害された宣教師だったということがありました。異郷の地に自分が信じる神の教えを広めようとしましたが、異教徒として迫害を受けて苦しい思いをしたことが、今世に影響を与えてしまったのです。また、幼い頃から水が怖くてプールや川、そしてお風呂の浴槽にも入れなかった女性は、前世で子どもの時に川で溺れて死んだために、水が怖いと言う影響を今世に受けてしまった場合もあります。ヨーロッパやアメリカでは前世療法なる治療が正式な形で認められています。精神科医が患者さんを催眠状態にして、記憶を前世までさかのぼり、今世に影響している原因を探り出すことで、前世の影響をなくしていくのです。原因がわかると、前世のマイナスな影響は解消されていくのです。前世療法をヒプノセラピーとも言いますが、日本でも行う人がいますが、中には怪しい人もいるので気をつけることが必要です。私もヒプノセラピーを行いますが、直接前世からメッセージを受け取ることで対応しています。
魂にはさまざまな体験がすべて記憶されています。しかし、通常はそれを思い出すことはありませんが、強烈な感情を持つと、断片的に記憶が残ってしまうのです。それが今世にさまざまな影響を与えることもあるのです。それでも私たちはそれを乗り越えていかなければなりません。苦難を乗り越えるために生まれてきたのですから。もう一つ今世に影響することがあります。いわゆる因果応報です。前世の行いが、良くも悪くも今世に帰ってくるのです。それは、受け入れていくしかないのです。それが宇宙の法則であり、神の法則でもあるのです。