大山津見神(オオヤマヅミノカミ)は木花咲耶姫神と磐長姫神の父親で、山の神であると古事記には記載されています。なぜこの姉妹の神の父親になっているのか、それはこの神が多くの神を誕生させたからなのです。この神は実は普通の神ではなく、伊邪那岐神のように多くの神を生み出した神なのです。
古事記では伊邪那岐神が体から多くの神を生み出したとあります。しかし、それは真実ではなく、本当は大山津見神の神が生み出したのです。この神は天津神である高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)の化身であり、多くの現津神を生み出すために誕生したのです。この神からはおよそ百の神が生み出されています。その多くは古事記や日本書紀には出てこない神なのですが、私たちの生活にとても深く関わっているのです。たとえば火の神や山の神、海の神や川の神、さらには雨の神や風の神、いわゆる自然の神なのです。自然現象は実は神の力によって引き起こされているのです。科学的には地球の自転や月の引力、さらには太陽の光によって自然現象は生じていると考えられています。しかし、本当はそれぞれの神の力によって自然現象は引き起こされているのです。昔の人はそれを知っていたので、それぞれの神を祀っていたのです。
雨が降らなければ雨乞いをしたり、山の動物を獲った時は山の神に感謝したり、川や海で漁をする時はその安全を祈願したりと、昔から名も無き神に祈りをささげてきたのです。しかし、今ではそのようなことはあまりしなくなってきました。また、神に対して常日頃感謝する習慣もうすれてきました。そのため神たちは、その存在を知らしめるためにさまざまな自然災害を引き起こしているのです。大雨や渇水、山崩れに猪や熊、猿、鹿などが人里にやってくるようになったのです。さらには、川の氾濫や地震に落雷、そして火山の噴火などますます多くなっていくことでしょう。自然災害はさまざまな神や龍神によって引き起こされています。さらに月に住んでいる宇宙人によっても。すべては神の存在を知らしめるためであり、自然を大切にすることを戒めるためでもあるのです。
大山津見神は多くの神の生みの親でもあるため、子どもである神々がその力を十分に発揮することを望まれています。その力が発揮されるためには人々がその神の存在を信じ、常日頃感謝を伝えなければならないのです。昔のように事あるごとに神に感謝しなければ、それらの神の力は十分に発揮されないのです。ご利益ばかりを願う人には、大山津見神は鉄槌を下すのです。自然災害はある意味でその鉄槌でもあるのです。今、世界中で異常気象が頻発しています。ヨーロッパの干ばつに山火事、アジアでの大洪水、中国、アメリカでの干ばつと洪水のダブルパンチなど、数百年にいちどの災害が頻繁に起こっているのです。このようなことがこれほど同時に、そして頻発することはかつてないことなのです。地球温暖化によるものだと思われていますが、それは極わずかであり、その多くは神の力によるものなのです。いつまでも今の状態を続けていると、さらに大きな自然災害が起こることになるでしょう。それを防ぐためには多くの人が神に感謝し、自然を大切にする行動を起こさないといけないのです。
「我は大山津見神なり。我が生んだ神々が今、その力を発揮することができずに閉塞しているなり。神々はそれぞれの力を発揮するために生まれたなり。発揮できなければ地球に居座る意味は無しと考えているなり。これらの神が地球を去れば地球の自然は崩れて、多くの生き物が死に絶えるなり。さすれば、人も生き残ることはできなくなるであろう。そのことを人はほとんど知らぬなり。我が生んだ神々は、人からの感謝によってその役目を果たすなり。感謝がなければ動くことは無かれ。動かざれば、自然の営みは止まるなり。風も吹かぬ、雨も降らぬ、日も当たらぬ、さらには大地はひび割れることとなろう。そのことを今一度認識するがよい。できぬのであれば、人は滅びるだけであるなり。神の力を信じることができぬものは、生きる意味は無し。神が在っての人なり。多くの人は神に対する感謝を忘れているなり。自分たちの力で生きていると思っているなり。いつまでもそのような考えを持つのであれば、神の力を思い知るがよい。それはすでに現れつつあるなり。この一年が猶予なり。それをこゆれば、いよいよ神の力を間近に感じるようになるであろう。それは多くの自然災害によって。」
自然現象の多くは神の力によって引き起こされているのです。時には大雨や洪水であったり、台風やハリケーン、そして地震や火山噴火、さらには干ばつや山火事、異常高温や異常低温、すべては神々の力によって生じているのです。すべての生き物が円滑になるようにしているのです。人間にとっては災害でも、他の生き物にとっては恵みをもたらしているのです。神は人間のためだけにお働きになっているのではないのです。むしろ、人間以外の生き物のためにお働きになっているのです。我々はその恩恵を授かっているのです。それに対して謙虚に感謝して初めて神は人間にも施しをお与え下さっているのです。感謝ができぬ以上、人間に施しを与える必要はないと思ってみえるのです。ましてや、自分たちの都合によって自然を破壊し、多くの生き物を絶滅させている人間はある意味で邪魔者になるのです。その最終的なご判断が、およそ1年後に下されるのです。くしくも今日は2022年の9月1日、日本では防災の日とされています。災害は神の御力の現われ、防災の日ではなく、多くの神に自然の営みをもたらしていただいていることに感謝する日とすべきでしょう。
自然災害は神の御力によるもの、山の神、川の神、風の神、海の神、雨の神、そして地の神に私たちは日頃から感謝しなければならないのです。山菜やキノコ、森林を伐採する時は山の神に、川魚の漁や川から水を引く時は川の神に、作物の種まきや収穫時には風の神と大地の神に、作物が育っている時は雨の神に感謝しなければならないのです。海の幸をいただく時も。そして、お天道様には常日頃感謝をするのです。ひと昔前までは、だれでも当たり前のようにしていたのです。今ではほとんどいなくなり、神社仏閣にご利益を求めて出向くだけになったのです。そこには、宮司や僧侶がお金儲けのために人々を招くためのこじ付けに踊らされている人たちがやってくるのです。ご利益を成就させてくれる神は邪神であり、日本古来の神は感謝をするためにあるのです。今一度そのことをしっかりと認識してください。
いよいよ大山津見神が大きく動き出します。おそらく年内にはさらなる自然災害が世界各地で起こることになるでしょう。もちろん日本でも。特に地震や火山の噴火が多くなることでしょう。一人でも多くの人が神に感謝することを実践すれば、大難は小難になっていきます。すべての神々に感謝しましょう。そして、すべてに感謝しましょう。自然に対してもっと畏敬の念を持たなければなりません。人間の力では自然の力にあがらうことはできないのです。