不動明王はとてもなじみ深い神ですが、その顔はとても怖く、人を心の奥を見通すようなするどい目をしています。不動明王は大日如来の化身とも言われ、我欲にとらわれた人々を救う神として慕われてきました。すべての煩悩や障害を焼き滅ぼし、悪魔を駆逐する神とも言われています。
不動明王は「お不動さん」とも呼ばれて、多くの人から慕われてきました。その形相は恐ろしいのですが、人の迷いや苦しみを断ち切り、仏の道に導いてくれる神と信じられてきたため、昔から慕われてきたのです。特に日本で不動明王が広まったのは、空海が広めた密教によるものだと言われています。密教は大日如来を最高の仏とし、生きている間に大日如来と一つになることを目指した仏教でもあるのです。他の仏教とは異なって、生きている間に解脱することを目指しました。そのためには厳しい修行をして、煩悩や我欲を捨て去らなければならなかったのです。そのために身近な神が必要だったのです。煩悩や我欲を捨て去ることを導いてくれる身近な神として、不動明王が脚光を浴びるようになったのです。不動明王にお願いすることで煩悩を断ち切ろうとしたのです。また、人を誘惑する悪魔を退散させることもお願いしたのです。護摩焚きはそのために行うのです。密教はある意味で、煩悩を取り去って生きながらにして悟りを開き、仏になるためのものなのです。他の多くの仏教は死後に仏になることを信じて、生前にお経を唱えることをしたのです。
人は我欲があるから生きていることに感動するのです。我欲がなければ感動することもないのです。しかし、我欲が強すぎると苦しむことが多くなり、感動することもなくなっていきます。そのバランスがとても難しいのです。すべての我欲をなくすことはできませんが、小さくすることはできます。それを導いてくれるのが不動明王なのです。どのように導いてくれるのか、不動明王の仏像や絵を見ていると心の奥を見透かされているように思えてくるのです。自分の我欲がいかに大きいか、そしてそれが愚かなものであるかをわかって来るようになるのです。不動明王の形相はそのために怖くしてあるのです。怖い顔ににらまれると自分の落ち度を変えなければならないと思えるようになるのです。
しかし、不動明王の怖い顔を見ても何も感じない人が増えてきました。ひと昔前は、それなりに感じる人がいたのですが、神仏を信じる心が小さい頃から育てられていないため、信仰心が薄くなっているのです。パワースポットや御朱印を求めて神社仏閣に訪れる人は多くなりましたが、神仏を信じているわけではありません。しかし、願い事だけはしっかりとしていく愚かな人が急増しているのです。願い事の多くは我欲なので、神仏は叶えることはしません。逆に、邪神のいいカモになってしまうのです。邪神は人の心を誘惑します。願い事を叶えてやるかわりに、もっと日参して我を信心せよと駆り立てるのです。さらには寄付やお布施を強要していくのです。それが教団や学会へと変わっていったのです。邪神は、もともとは人の想念からできたものなのです。多くの我欲が凝縮されてできたものが邪神なのです。悪魔、サタン、デビル、ルシファー、デーモン、すべては人のマイナスな思いからできているのです。
「我は不動明王なり。我は人々の煩悩や我欲を断ち切るなり。されど、その者がそれを望まなければ、我は手出しはせぬ。自ら煩悩や我欲を断ち切りたいと望む者だけを救うなり。いつまでも我欲にとらわれている者は、我の剣で成敗するなり。まずは手足を断ち切るなり。それでも変わらぬならば、目を突き刺すなり。それでも変わらぬならば、胸を突き刺すなり。死ぬ思いをすることとなるであろう。我欲をいかに小さくするか、今一度しかと考えるがよい。」
不動明王の御意志はかなり固いものがあり、我欲に溺れている者は徹底的に成敗するようです。手足を断ち切るとは、脳梗塞や脳出血で半身不随になったり、事故やケガで下半身不随になるということです。さらには、パーキンソン病が急激に悪化したり、ALS(筋萎縮性側索硬化症)によって急速に手足の筋肉がおとろえていくこともあります。目を突き刺すとは、糖尿病の悪化で突然の眼底出血で失明したり、突発性緑内障でやはり失明したりします。胸を突き刺すとは、心筋梗塞や狭心症で苦しみ、場合によっては突然死してしまうのです。神がこんなことをするのかとお思いになるでしょうが、これ以上我欲によって新たな邪神を生み出すことを阻止しようとしているのです。我欲が邪神を生み出し、そしてさらに我欲を大きくしている負の連鎖を断ち切るのです。これから多くの人が突然亡くなることになるでしょう。
不動明王の御怒りから逃れるためには、いかに我欲を少なくするかを日々実践しなければなりません。我欲をゼロにすることはできませんが、まずは他の人を優先することです。「お先にどうぞ」、「私でよかったら」、「もう充分です」などをいつも言えるようにすることです。そして、「ありがとう」をなるべく多く口に出して言うことなのです。それが我欲を少なくしていく第一歩となるのです。不動明王はいつも見ています、少しでも我欲を少なくするように実践しなければならないのです。
これからさまざまな困難が押し寄せてきます。食糧不足やエネルギー不足、コロナやインフルエンザの蔓延、さらには地震や洪水などが頻繁に起こることでしょう。そんな時こそ人をどこまで優先できるかが問われるのです。自分のことばかり考えていると、不動明王の鉄拳が下されるのです。鉄拳は剣によって振り落とされます。その勢いは激しく、人によっては命を亡くすこともあります。その多くは突然死となるでしょう。容赦はありません。すでに多くの人が亡くなり始めています。一人でも多くの人が、我欲の渦からはい出ることをこの神は願っているのです。
不動明王は神であり、そして死刑執行人でもあるのです。とても厳しい御役目を果たしているのです。それゆえ厳しいお顔をしているのです。微笑むことはありません。今から50年ほど前に流行った映画に「大魔神」がありました。埴輪のような巨人が悪人をこらしめるのです。悪人をこらしめる時は不動明王のような形相になり、ひと段落すると仏様のような顔つきになるのです。不動明王も本来は仏なのです。この神が仏の顔つきになる日を、我々は作らなければならないのです。そのためには日々、感謝と謙虚さを持ち、人のことを思いやり、温かい言葉をかけてあげるのです。苦しい時こそそのようなことを実践していくのです。まさに今、その真価が問われているのです。特に自然災害で苦しい時こそ。また、これから経済的に苦しくなる人も多くなります。その人たちに何ができるのかを日々考えるようにしてください。明日からでもできることを考えるようにして下さい。