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神時代通信No12【日本武尊】

22年08月16日

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は景行天皇の皇子として、日本全国に派遣されて大和朝廷樹立に貢献した人物として古事記や日本書紀には記されています。いわゆる英雄的な人物として描かれています。最後は岐阜の伊吹山で亡くなったとされています。やはりこれも事実ではないのです。

 

ヤマトタケルノミコト(日本武尊)は実在した人物ではありません。なぜなら、日本と言う言葉が使われるようになったのは、古事記や日本書紀が作られた西暦700年頃からで、この神が活躍したのはおよそ西暦100年頃なのです。その頃はまだ日本と言う概念はなく、大陸から移住してきた王族がじょじょに日本の領土を手に入れるために、武力で侵略していたのです。当時は、やはりさらに数百年前に大陸から移住してきた人たちが、縄文人の住処を奪って住んでいたのです。縄文人も東北や九州の南部に住んでいましたが、大陸からの移住者に迫害されて北海道や沖縄に移り住んだのです。ヤマトタケルノミコトが東北の蛮族を討伐したとありますが、無抵抗な縄文人を殺りくしたのです。他の地域も同じで、討伐とありますが一種の侵略であり、殺りくだったのです。それは現在のロシアによるウクライナへの侵攻と同じなのです。ただ、縄文人はウクライナのように武力で抵抗はしなかったのです。このような真実を隠すためにヤマトタケルノミコトと言う英雄を作り上げてごまかしたのです。

 

しかし、ヤマトタケルノミコトを倭建命と表記する場合もあります。実はこの表記による神が実在した人なのです。縄文時代に縄文人を育てたムーの民だったのです。当時の縄文人は原始的な生活をしていましたが、平和的でみんなで助け合いながら生きていました。ムー大陸が沈む前に避難してきた一部のムーの民は、縄文人にいろいろなことを教えたのです。中でも病気の治し方やケガの治し方、食糧の保存方法や栽培方法など生きていく上で必要なことを教えたのです。ヤマトとは、ムー大陸が沈む時に大きな津波が発生して、日本列島も多くが一時的に水没しました。逃れてきた一部のムーの民の船が、高山を中心とした山岳地帯にたどりついたため、山で止まったことからヤマトと呼ばれるようになったのです。そしてタケルとは、その中でも非常に知識に長けていた人と言う意味なのです。日本武尊は当て字であり、架空の人物なのです。

 

大和朝廷は日本を統一するために、西や東に軍を派遣して縄文人やすでに大陸から移住していた人たちの住処を没収していったのです。大和をヤマトと呼ぶようになったのは、大陸から移住した王族が日本を統一した時に大きな野望を成し遂げたことから、山の峠は過ぎたことを表す意味でヤマトと言うようになり、当て字で大和を使うようになったのです。つまり、ヤマトの語源は山に止まる、山を越えると言う意味なのです。なぜ大和の字を使うようになったのか、占領した領土がいつまでも安堵されるようにと願い、大きく割れることのないようにと和と言う文字を当てたのです。決して、人々が和することで国を安泰にしていくことを願ってつけたのではありません。あくまでも王族が自分たちの権力がいつまでも維持できることを願ってつけたのです。今までの信じられてきたことの大方は、偽りなのです。
「我は倭建命なり。我は太古の人々に生きていくための知恵を授けたなり。されど、それは今では途絶えてしまい、生かされていることはなし。されど、これからまた我の教えが必要となる時が来るなり。なぜなら、大元の神の力によって太古と同じような状態に戻されるためなり。過度な文明は人の欲望を駆り立てるだけで、悪しきものなり。人は最低限の物さえあれば十分に生きていけるなり。互いに分かち合い、助け合いをしていけば十分に暮らしていけるなり。今一度そのことをしかと心得るなり。我の教えを得るには、それを今でも引き継いでいるわずかな者たちに教えを乞うがよい。北の民と南の民に。特に北の民が今でも我の教えをしかと引き継いでいるなり。我は、戦にかまけていた者にあらず。我の名を辱める者を祀ることは許し難し。我は倭建命(ヤマトタケルノミコト)なり。」

 

北の民とはアイヌの人たちであり、南の民とは沖縄の人たちのことなのです。その共通点はすべてに神が宿ると信じ、そして先祖の霊や他の目に見えない存在も信じているのです。そして自然を大切にし、人と助け合い思いやることも大切にしています。両者ともさまざまな迫害を受けてきましたが、いつも前向きにそして助け合ってきたのです。逆に言えば、助け合っていかなければ生きてこられなかったのです。これからアイヌの人や沖縄の人が味わってきた苦しみを私たちも体験することになるでしょう。なぜなら、彼らを苦しめてきたのはだれでもない、私たちの先祖だからです。およそ3000年も前から。因果応報と言われるように、良いことも悪しきことも行ったことは返ってくるのです。自然災害や食糧やエネルーギー危機、さらには中国やロシアの脅威が今まさに降りかかってきているのです。こんな時こそ、倭建命の教えが必要となってくるのです。

 

ヤマトのいわれは、ムーの民がたどり着いたことに根差しているのですが、ある意味でムーの民のことを表しているのです。縄文人はムーの民の教え子であり、分身でもあるのです。大和はあくまでも当て字であり、本来の意味とはかけ離れているのです。先の大戦で最後の戦艦となった大和は、ある意味で大和朝廷の呪縛がかけられていたのかもしれません。朝廷の特権階級の人たちが、自分たちの権力を維持されることを願ってつけられた大和。敗戦間近でありながら、軍部の見栄と自分たちの権力を固持するために作られて戦艦大和、まさしく権力の亡霊に取りつかれていたのでしょう。多くの兵士が戦艦と共に亡くなったのです。ちなみに、当時の参謀の一人が元総理大臣の中曽根氏で、彼は現職の時に日本列島を不沈空母にする発言をしていました。戦艦大和をほうふつさせる発言だったのです。彼は先の大戦で多くの兵士や民間人を死なせてしまった張本人の一人なのです。今頃はきっと地獄で阿鼻叫喚していることでしょう。

 

倭建命の教えがこれから必要になってきます。難しいことではありません。人のために何ができるのかをいつも考え、そしてできるところから実践していく。そして、自然を大切にしていくためにはどうしたらよいのかも同じように実践していく。さらには、目に見えない存在を信じていくことなのです。そのためには日々、すべてに感謝し、謙虚な心を持つことを実践していくのです。だれでもできることなのです。ある意味でそうしないと生きていけなくなるのかもしれません。自分のことばかり考えている人は、誰からも相手にされなくなります。自分の権利ばかりを主張する人も。すでにそれは起こりつつあるのです。倭建命の教えが本当に必要になってきたことを多くの人が実感することでしょう。

 

ヤマトタケルノミコトは日本武尊ではなく、倭建命です。そのことをしっかりと認識してください。

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