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神時代通信

神時代通信No6【天照神】

22年07月29日

日本の最高神とされる天照神(アマテラスノカミ)はどうしてそのような位置づけになったのか、そこにはやはり大陸から移住してきた王族の思惑があったのです。伊勢神宮や熱田神宮の御祭神として祀られているこの神も、ムーの時代に生きていた人なのです。やはり巫女として神からのメッセージを受け取っていました。

 

アマテラスノカミは女性神とされています。しかし、男性神と言う説もあります。なぜ男女に分かれるのか、実は天津神に天照大日大神(アマテラスオオヒオオカミ)様がおいでになり、この神が男性神なのです。この神と混同されてしまうことが起因しているのです。天津神は宇宙や地球をお創りになった神々であり、アマテラスノカミは現津神で、元は人として生きていた人の魂が神格化したものなのです。したがって、同じ神でも次元がかなり異なるのです。名前が似ていることから混同されてしまうのですが、この神の関係は何もないのです。ただ、天照という言葉の意味は太陽を表していると言う点では同じですが、天津神はかなり高次元の太陽の光を放たれます。それは人の魂を浄化し、すべての生き物に生命力を与えるのです。現津神は心の曇りを払いのけ、迷いを断ち切るのです。この両者のお働きが混同されてしまっているのです。

 

アマテラスノカミが日本の最高神となったのは、天津神のアマテラスオオヒオオカミと混同してしまったためです。名前がよく似ているので昔の人は同一の神と思ってしまったのです。さらに、大陸からの移住者たちは日本古来の神々を詳細に知らなかったことも起因しています。日本には多くの神が鎮座しているため、大陸からの移住者はよく知らずに祀っていたのです。中でもアマテラスノカミは、太陽神を表わす神だと思い込んでしまい、最高の神として崇めるようになったのです。さらに、大陸からの移住した王族の先祖に仕立て上げるには都合がよかったのです。大陸でも太陽神を信仰していたので、なじみやすかったのです。伊勢神宮や熱田神宮の御祭神はアマテラスノカミですが、他にもさまざまな神が祀られています。しかし、その多くは脇役とされています。古事記ではアマテラスノカミはイザナギノカミとイザナミノカミの娘とされているのに、子どものあるアマテラスノカミを高い位にしているのはなぜなのか、やはり大陸からの移住者の思惑があったからです。

 

イザナギ、イザナミノカミは日本列島を創り、多くの神々を御生みになりました。それなのにアマテラスノカミの地位を高くしたのは、日本古来の神々をあまり表に出したくなかったからなのです。アマテラスノカミの存在を立証するためにその生みの親の神を登場させることが必要だったのです。しかし、イザナギ、イザナミノカミの記述もでたらめで、これらの神はアマテラスノカミと同じ時期にムーで生きていたのです。親子としてではなく、同僚として。巫女や神官として生きていたのです。アマテラスノカミは特に人の心を癒す力を持っていて、多くの人の迷いや心の苦しみを取り去っていたのです。イザナミとイザナギノカミは、人に取りついた邪気や霊を取り払うことを主にしていました。いわゆる陰陽師として。したがって、家族でも親子でもないのです。古事記の内容の9割はでたらめなのです。

 

「我は天照神なり。我はそなたたちが崇拝する天皇の先祖ではあらぬ。我は人々の心の迷いを解き放ち、痛めた心を癒すなり。我が祀られている処に来て多くの願い事をする者あれど、我にはそれを叶えることはできぬなり。願い事の多くは我欲にまみれたもの、いずれにしても人の我欲には際限がなきものなり。我の役目は人々の心を癒すことにあるなり。そのことをしかと心得るがよい。さらにもう一つ伝えることがあるなり。我は多くの神々と共にこれからの時代に沿った人々を導くなり。これからの時代は人と神が誠に一つになる時代でもあるなり。人と神が一つになるためには、人は我欲から解放されなければならぬなり。我欲をなくすには日々、感謝と謙虚な心を持つしかできぬなり。一人でも多くの人が我欲を捨て去ることを望むなり。我の元に来る時は、ただただ感謝を伝えに来るがよい。いらぬ願い事は不要である。願い事ばかりする者には、邪神が憑くことになろう。くれぐれも注意するがよい。」

 

アマテラスノカミからのメッセージを真摯に受け取りたいものです。伊勢神宮や熱田神宮には多くの人が訪れます。その多くは何かしらの願い事をしています。人のための願い事であれば受け入れてくれるでしょうが、自分の我欲を満たす願い事であれば、その我欲に邪神や邪気が吸い寄せられてくるでしょう。神社仏閣には多くの邪神や邪気が住み着いています。彼らにとって人の我欲は最大のエネルギー源になるからです。そして我欲を強く持った人に取りついて、さらに我欲を満たそうとするのです。多くの神々はそのような邪神や邪気に満ちた処には、当然ながらいたくはありません。そのため、多くの神々は天上界に上ってしまっているのです。しかし、人のために懸命に祈る人や、感謝を真摯に伝える人が来た時は降りてこられます。その時は心地の良いそよ風が吹きます。それを感じたら神が降りてくださっていると思ってください。

 

アマテラスノカミが岩戸にお隠れになったお話は有名ですが、これもやはり真実ではありません。スサノオノカミの乱暴な振る舞いに愛想をつかして岩戸に身を隠したとされていますが、岩戸に隠れたのではなく、大元の神による天変地異によって大規模な火山噴火によって吹き上げられた火山灰で太陽光が閉ざされてしまったのです。それは数年にも及ぶことがあったのです。アマテラスノカミの偉大さを誇張するために作られた話なのです。全国に天岩戸伝説がありますが、どれも真実ではないのです。古事記の記述を参考にしてそれぞれの神社が格式を上げるために岩戸伝説を取り入れたのです。したがって、天岩戸は実在しないのです。

 

アマテラスノカミが天上界である高天原を治めていたことになっていますがこれも真実ではなく、天上界の神々を天津神と言い、アマテラスオオヒオオカミやアメノミナカヌシノオオカミがおいでになる処であり、アマテラスノカミは現津神なので、比較的私たち人間界に近い処においでになるのです。古事記では地上界においでになる神を国津神と言っていますが、国津神のほとんどは名は無く、その存在もほとんど知られていません。したがって、古事記で言うところの国津神が実際の現津神となるのです。このように多くのことが間違って伝えられているため、日本の神々の素性や御役目が複雑になっているのです。さらに、後世の人々が都合のいいようにご利益を叶えてくれると勝手に仕立て上げていったことも起因しています。現存する神社の多くは、ご利益主義の対象となっています。何度もお伝えしていますが、本来神社は神に日々の感謝を伝えに行く場であり、ご利益を求めに行く処ではないのです。多くの人がそのことを履き違えているため、神社に神はいなくなってしまったのです。

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