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新時代通信No192【魂の誕生12】

22年03月11日

この通信は「魂の誕生」をお伝えします。魂の存在が少しずつ明らかになってきましたが、まだその存在を信じる人は少ないのです。私たちの本体が魂であることをしっかりと認識してこそ、これからの時代に沿った生き方ができるのです。肉体は魂が宿る器にすぎません。しかし、この器もある意味で魂の一部でもあるのです。

 

肉体は霊細胞と幽細胞、そして肉体細胞からできています。私たちが実際に肉体として認識しているのは肉体細胞だけです。しかし、肉体の実質的な役割を果たしているのが霊細胞なのです。霊細胞は肉眼で見ることはできませんが、一種のエネルギー体でもあるのです。体の周りにもいくつかのエネルギー体がありますが、それらとは異なり、霊細胞は魂がしっかりと活動できるようにエネルギーを供給したり、さまざまな衝撃から守る役目をしているのです。さらに、魂の意志を具現化する役目も果たしています。とても理解しにくいので、少しずつお伝えします。魂は体の心臓の中心にあって、心臓の拍動に合わせて活動しています。活動とは、魂の意志が具現化できるように霊細胞にたえずある種の情報を送っているのです。魂は生まれて来る前に今世のテーマや目的を決めてきます。人を助けるとか、幸せにするとか、世界を平和にするとか、さまざまですが、それはとても抽象的なので、それをどのように具現化していくかを霊細胞と相談しながら決めて行くのです。それはまるで、王様が国を発展させるために大きな目標を掲げて、それを計画し実行していく大臣のような関係なのです。

 

霊細胞は魂の意志をどのように具現化するかをいろいろ検討して、それを幽細胞や肉体細胞に伝えて実行していくのです。言うなれば幽細胞や肉体細胞は家臣になるのです。では、脳は何のために存在するのか、脳は魂の意志に基づいて実行された結果を認識し、それをいろいろと整理し考慮して、魂の意志に沿っているかを検証するのです。それを霊細胞にフィードバックして行くのです。今の医学はでは脳がすべてを判断し、指令していると考えていますが、脳はあくまでも結果を検証しているだけなのです。そのため、脳死状態になっても肉体は霊細胞の指示に従っているので、ある程度は生きることができるのです。逆に、心臓移植をすると人格が変わることがあります。それは心臓と共に魂も移植されるからです。ただ、移植した人がすべて人格が変わるわけではありません。脳死状態になると魂は一時的に体から遊離することがあるのです。そして、移植される側も自分の心臓を取り出すとやはり一時的に魂が遊離します。その後、新しい心臓を移植した時に、どちらの魂が入り込むかによって人格が決まるのです。つまり、一つの体に二つの魂が同時に入ることはできないので、どちらかがあきらめるのです。大方は移植される人の魂が戻りますが、時々移植した人の魂が代わりに入ることがあるのです。そうすると、人格が変わってしまうのです。

 

本来、臓器移植はするものではないのです。特に心臓は。このように人格が変わってしまうことがあるからです。家族や周りの人たちはとても戸惑ってしまうのです。臓器移植は、ある意味で神の領域なのです。人が手を出してはいけないのです。

 

霊細胞をまとめたものが霊体、幽細胞をまとめたものが幽体、そして肉体細胞をまとめたものが肉体と言います。それぞれが役割を持っていて、魂の意志に沿うように動いているのです。魂が王様であり、霊体が大臣、幽体と肉体が家臣なのです。そして脳は家臣の働きを大臣に伝える伝令係なのです。脳がすべてをコントロールしていると考えている今の医学では、まったく理解できないことでしょう。魂の意志こそがこの世に生まれた目的なのです。魂の意志をいかに具現化していくかが、人としての道なのです。それは十人十色でそれぞれに異なりますが、共通しているのは人のためなのです。しかし、人は我欲があるために魂の意志が思うように発揮されないのです。我欲があるおかげで文明が発達し、人類は豊かな生活を送れるようになってきたのですが、逆に我欲が強くなりすぎて魂の意志が阻害されているのです。

 

魂の意志の発現と我欲は、ある意味で相反するものなのです。このバランスをどのように取っていくかが大きな課題なのです。人類が誕生してからの最大のテーマでもあるのです。ただ、この2000年間は我欲を増大させることで人類は発展してきました。人口も増え、文明も高度になり、多くの人が食べる物に不自由することなく快適な生活を送れるようになりました。ある意味で我欲を満たす頂点に行き着いたのです。これ以上は分不相応になってきているのです。これ以上我欲を邁進させていくと自滅していくことになるのです。すでにその兆候は現れ始めています。自然を破壊し、他の生物を絶滅させ、さらには自国の領土を拡張するために罪もない人たちを無差別に殺りくしています。このまま進めば核が使われることになるかもしれません。すべては我欲が際限なく膨れてしまったからなのです。この人類の際限のない我欲に鉄槌が打ち込まれることになったのです。それがコロナでありオミクロンなのです。しかし、それでも人類の我欲は止まりません。そうなればさらなる鉄槌が打ち込まれることになるでしょう。

 

すでにさらなる鉄槌は準備されています。一つはオミクロンのさらなる変異株の出現です。すでにそれは確認され始めています。オミクロンと同じように感染力は強く、さらに毒性が強くなっているのです。おそらく後1カ月もすれば全世界に広がるでしょう。それはちょうど100年前のスペイン風邪と同じように高熱と激しい咳を伴い、多くの人が肺炎になるでしょう。薬では対処できないため、多くの人が命を亡くすでしょう。ロシアやウクライナでも感染は広がるため、戦争どころではなくなるでしょう。しかし、それでもロシアはウクライナ攻略をあきらめないので、場合によっては局地的に核を使うかもしれません。もしそうなれば、ウクライナも報復処置としてロシアの核施設を攻撃するため、ヨーロッパ全土が放射能で汚染される可能性が出てくるのです。それを阻止することができるのは、やはり人の力しかないのです。神はそのことに口出しはしません。すべては人の自由意志に委ねているのです。世界で唯一の被爆国である日本が、ロシアとウクライナに原爆の悲惨さをしっかりとアピールしなければならないのです。

 

しかし、今の日本の総理大臣にはその発言力はありません。もちろん他の政治家にも。自分と自分が所属する党の利権しか考えていない人たちに世界平和を訴える能力はありません。せいぜい官僚が作った作文を棒読みする程度でしょう。であれば、我々日本人一人一人が訴えていくしかないのです。ただ、戦争反対とデモをするのではなく、世界平和を心から祈るのです。神仏に心から祈りを捧げるのです。毎日、朝夕、心から平和になることをみんなで祈ろうではありませんか。反対することよりも、平和になってほしいと思う気持ちを持つことの方がはるかに神仏を動かしてくれるのです。

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