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新時代通信No126【日本の神々18】

22年02月21日

この通信は「日本の神々」についてお伝えします。日本の神々がこれほど多いのは、おそらく他の国の人には理解できないでしょう。逆に、なぜ他の国ではその多くが一神教なのか、そしてなぜ宗教戦争が絶えないのか、そのことについてお伝えします。全世界で一番信者が多いキリスト教と、イスラム教が大きなポイントとなります。

 

この二つの宗教とユダヤ教はその元を同じにしています。アブラハムの教えが書かれた旧約聖書を新たな解釈に書き換えた新約聖書を元にしたキリスト教徒と、旧約聖書の教えに従うユダヤ教徒、そして新旧両者の教えを元にしているのがイスラム教なのです。ある意味でこの三つの宗教は兄弟でもあるのです。日本の仏教もいくつかの宗派がありますが、元は釈迦の教えがさまざまな解釈によって誕生したのです。どちらも元となる人の教えをどのように解釈するかで変わってくるのです。そして、その解釈をさらに時の権力者が利用することで、宗教が一つの道具として使われて行くようになったのです。キリスト教はローマ帝国によって改ざんされ、さらにバチカンがその権力を高めるために利用されていきました。イスラム教はムハンマドによって作られましたが、その後さまざまな形に変わっていき、アラブ諸国を中心に広がりました。やはりシリアやイラク、イランで政治的に歪曲されて今に至っています。

 

なぜ、キリスト教徒とイスラム教徒が長い間いがみ合ってきたのか、それはどちらもそれぞれの神を絶対神とし、他の神を信じる者は人ではないと思っているからです。ある意味でそう思い込ませることで、他の国を侵略し、平気で虐殺や奴隷扱いすることができたのです。ヨーロッパの国々がアフリカやインド、そして東南アジアや南米を侵略して植民地化できたのもそのような考えがあったからです。両者ともとてもよく似ているため、長い間争ってきたのです。特にキリスト教はバチカンの支配下に置かれて、多くの国を侵略していきました。そのため植民地化した国にキリスト教を信仰させるようにしてきたため、現在では一番信者が多い宗教となったのです。ある意味で強制的に信仰させたのです。ただ、たんなる強制ではなく、さまざまな手を使ってキリストを信仰させるようにしてきたのです。その手口は巧妙で、なおかつ戦略的でもあったのです。

 

今からおよそ500年前に設立されたイエズス会は、キリスト教を普及させるために宣教師と呼ばれる人たちが世界各地に派遣されました。当初は純粋にキリスト教の布教をしていたのですが、その後バチカンの命で各国の国内情勢を視察し、それを元にその国を植民地化する攻略を提言する偵察隊としての役目を果たすようになったのです。そして、その下準備としてキリスト教を普及させたのです。キリスト教徒を増やすことでその国の内情をより深く知り、反乱や内戦を起こさせてその機に乗じて多くのキリスト教徒の軍を派遣させたのです。日本も豊臣秀吉の時代や江戸時代にそのようなことがあったため、鎖国としたのです。しかし、幕末に再度イエズス会の力によって内乱が起こり、一歩間違えばフランスやイギリスの植民地になっていたのです。その片棒を担いだのが坂本龍馬などの脱藩者だったのです。彼らはあくまで操り人形でしかなかったのです。その黒幕はイエズス会だったのです。

このようなことは現在も多く行われているのです。しかし、バチカンの力は急速に衰えているので、イエズス会もその後ろ盾を失い始めているのです。イスラム教はいくつもの宗派に分かれてしまい、たえず闘争を続けています。なぜこれほどまでに分裂してしまったのか、そこにはやはりアメリカやイギリスによる画策があったのです。イランやイラクは油田を多く持っているため、その採掘権をめぐってそれぞれの国ではいつも利権を奪い合う抗争があったのです。それを巧妙に画策してイギリスやアメリカは採掘権を奪おうと考えていたのです。その火種にしたのがイスラム教徒の宗派間の抗争で、それぞれに武器やお金を供与して紛争をあおり、それに乗じて侵略しようとしたのです。その最たるものがイスラム国を勝手に作ったイスラム過激化組織で、元はアメリカで軍事訓練を受けたイスラム教徒がアメリカの思惑とは異なった行動を取るようになってしまったのです。そのため、より宗派間の均衡がくずれてしまい、泥沼化しているのです。

 

いつの世も、宗教は権力者の道具として使われてきたのです。宗教は人が作ったものであり、神の教えを御旗の元にして多くの人の命を奪ってきたのです。そろそろそのような宗教は不要な時代となってきたのです。これからは神と直接つながる時代です。ある意味で神とつながることでその人も神になるのです。したがって一つの神にこだわることはなくなるのです。さらに、さまざまな新興宗教もこれからその化けの皮がはがれていくでしょう。特に政治と緊密な宗教は、実は邪神であることが明るみになるのです。なぜなら、信徒から集めたお金を上層部の人たちが私利私欲に使っていることがバレてしまうからです。なけなしのお金を奉納している人たちにとっては、とてつもない裏切り行為となります。まさしく砂上の楼閣はもろく崩れていくでしょう。

 

宗教はこれからどんどん人が離れていきます。ただ、物欲に執着している人は逆により信仰を深めていくでしょう。その結果、すべての財産を巻き上げられることとなり、破産することとなるでしょう。そしてそのお金を巻き上げた宗教や教団も、多くの人が離れていくことで結局は崩壊していくでしょう。日本の神社仏閣の多くもその権威を失い、特に寺の檀家制度は崩壊していくでしょう。すでに、檀家から離れる人が急速に増えています。田舎や地方ではあまり見られませんが、都会に住んでいて実家が地方や田舎にある人は、墓じまいをするようになってきました。これからますます増えていくでしょう。檀家制度は江戸時代に作られた、いわば役人の代わりに寺が人々を監視するために作られて制度です。藩や幕府に対して不穏なことを行動をする者がいないかを監視させるために、寺がいつも檀家の家を法事で回ることで偵察していたのです。さらに、檀家から時々寄付を請求してはその対応で家の内情をさぐっていたのです。今はその名残りで、檀家からの寄付を当然のこととして請求してくる寺が多くなってきたので、寺離れが多くなってきたのです。

 

もちろん、檀家のことをいつも親身になって見てくれる僧侶もいます。そんな僧侶のいる寺はこれからも続いていくでしょう。しかし、そのような寺は少なく、多くはお金集めに躍起になっているのです。それは神社も同じです。さまざまなご利益を掲げて、参拝者を増やそうとあの手この手で仕掛けている神社も、いずれはすたれていくでしょう。また、ご利益が得られるとされる神の多くは邪神なので、そのことがいずれはわかるようになります。神社は本来、感謝を伝えに行く場であることが見直されていくでしょう。神様をちゃんと信じる人が増えていくことで、今までの神社仏閣のあり方が変わっていくのです。長年続いてきた儀式や祭りのあり方も変わっていくでしょう。祭りとは、神様に日頃の感謝を多くの人で伝えるためのものであり、ただたんににぎやかに騒げばいいと言うものではありません。厳かに、そして厳粛に感謝を伝えるものなのです。

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