この通信では世界の歴史をお伝えします。キリスト教はどうしてこれほどまでに世界に広がったのか、そしてどうしてこれほどまでに多くの信徒がいるのか、その歴史を紐解いて見ます。そうすれば今の世界の構図も見えるようになってきます。歴史は複雑ですが、宗教の観点から見ていけばとても単純でシンプルなのです。
キリストの死後、その弟子たちがキリストの教えを説いていきました。初めはなかなか受け入れられず、何十年もたってから少しずつキリストの教えを受け入れる人が増えていきました。当時ヨーロッパはローマ帝国が君臨していて、多くの国を支配していました。そして支配された国の大半が奴隷的な扱いを受けていたので、多くの民が苦しんでいました。そうした中でキリストの教えが苦しんでいる人たちの心の支えになったのです。そのためじょじょにその教えは広がり、ローマ帝国にとって脅威となっていったのです。そこでローマ帝国はキリストの教えを一つの宗教に作り上げ、信徒としての規範を作ったのです。さらに教会を作り、そこに人を集めてキリストへの信仰を深めさせることでローマ帝国への不満を解消させたのです。およそ300年かけて作り上げたキリスト教は、キリストの教えとはほど遠いものとなり権力者が多くの人々を支配するための道具となったのです。
キリスト教はキリストの教えを書いたとする聖書がその基盤になっています。聖書は元々今から4000年前にモーゼが伝えたとされる言葉を後世の人たちが編集して作ったのです。多くの人が、そして長い月日をかけて作ったためその信ぴょう性や内容を確証することはできなかったのです。そこでローマ帝国はいくつかあるモーゼの口伝の中から、帝国に都合のよいものを選び出し、さらに不要なところを削除し、また付け加えたりして聖書を作り上げたのです。キリスト教なのになぜモーゼの口伝を拠り所にするのか、それはキリストの教えは文字によって残されなかったので、モーゼの伝えたことがキリストの教えであると思わせるようにしたのです。旧約聖書はモーゼの伝えたことを忠実に書いたもので、新約聖書はローマ帝国が自分たちが作り上げたキリスト教を信仰させるために作ったものなのです。ユダヤ教は旧約聖書を基本にし、カトリックやプロテスタントは新約聖書を基本にしているのです。大きな違いは人の死後、その魂は天国の神の元に帰るとするのが旧約で、新約ではその魂はキリストが復活するまで一時的に永遠の眠りにつくとされています。なぜこのようにちがってきたのか、それはキリストが復活することを信じ込ませるためだったのです。どんなに苦しいことや辛いことがあっても、キリストが復活すればいっしょに生まれ変わって幸せになれると思わせたのです。
新約聖書はキリストの生涯と、その弟子たちの普及活動をベースに旧約聖書から都合のいい部分を抜粋して作っています。さらにキリストの教えを歪曲して一部の人たちに命を捧げることを賛美しています。一部の人とはキリストの教えを説く人たちのことで、その一番トップの存在が教皇なのです。ローマ時代に作られた教皇は政治を行う人たちとは表向きには遮断されていましたが、裏ではとても緊密な関係だったのです。それぞれの役割を果たすことで民を支配しコントロールしていったのです。