漢方コラム

お問い合わせ

新時代通信

新時代通信No295【神の愛】

21年09月28日

この通信では神の愛についてお伝えします。神の愛とはすでにいろいろとお伝えしてきましたが、ここでは愛と言う言葉をいろいろな角度からお伝えします。愛と一口に言ってもさまざまな意味があります。人を愛する、愛おしい、思いやり、慈しむ、共感するなどどれも愛です。愛をどのように解釈するかで、神の深い心を知ることになるでしょう。

 

神の愛は多岐にわたっています。聖書でも神の愛を何度も伝えていますが、そのたびに愛の解釈はちがってきます。ばくぜんと愛と言われてもわからないのが普通です。愛をどのように解釈するかによって、内容はかなりちがってきます。一つ言えることは、愛をどのように解釈するのではなく、どのように受け止めるかなのです。頭で理解しようとしても、それは神の真の御心を解釈することはできないのです。ではどうすればよいのか。それは神の立場になって考えることです。神はこのような時にどのように思われるのか、またどのようなお言葉を発せられるのか、さらにはどのように接するのか、いつも神の立場になって考えているとだんだん神の愛を正確に理解することができるようになっていきます。では、神の立場とはどのようなものなのか、それはすべてにおいて公正であること、そして善悪を決めつけないこと、さらには平等であることです。とてもむつかしいことですが、いつもそのことを意識していけばきっと神の立場に近づくことができるでしょう。

 

神の愛を正確に知るために、もう一つ参考になることがあります。神はいつも人のためにひたすら愛を注いでくれています。それは太陽の日のようなものです。すべての人に、そしてすべての生き物にへだたりなく万遍に日を与えてくれています。しかし、そのことを私たちは当たり前だと思っています。ですが、いざ日食や火山の噴煙で日が当たらなくなるとそのありがたみを痛感するのです。神の愛は普段は当たり前と思われていても、いざなくなるととても困ってしまうものなのかもしれません。それは空気も同じです。あって当たり前のものは実はないのです。すべては神がお創りになったものだからこそ、私たちは神に対して常に感謝をしなければならないのです。水も空気もそして日も、生き物すべてに必要な物、それをお創りになり与えて下さっている神は、まさしくいつも愛を与えて下さっているのです。

 

神の愛は不変でありいつも平等です。そしていつも温かいものです。ただ、それをちゃんと感じ取れるかどうかなのです。水も空気も日もあって当たり前、自然に存在していて無尽蔵にあるものと思いがちです。しかし、近年の異常気象で雨がほとんど降らなかったり、火山の噴火で噴煙によって日がしばらく当たらなくなったり、さらには山火事の煙や排気ガスのためきれいな空気がなくなってしまったりと、当たり前のことがそうではなくなってきました。それはますます恒常的になっていくでしょう。神の愛を真摯に受け取ることができない以上、神も与える必要性がないと感じているからです。水も空気も日もすべての生き物には不可欠なものです。そのとばっちりを受けているのが、人間以外の生き物です。そのことも神は十分にご存知です。神はそれらの生き物を活かすために、それらの生き物の遺伝子を宇宙人に回収させています。今、UFOが多く見られるはそのためでもあります。いずれやって来る大変動に備えて。
神の愛の現われは他にもあります。今多くの難民が母国を逃れ、新天地に命がけで移動しています。さまざまな理由で生まれた土地を捨てて多くが徒歩で何百キロ、何千キロも移動し、途中で亡くなる人も多くいます。なぜこれほどまでにして避難するのか。それは神が人々の心を動かしているのです。新たな地で神の愛を受け取れるようにさせるためです。今まで住んでいた所では神の愛が十分に行き渡らないため、新たな地に導いているのです。なぜ愛が行き渡らないのか、一部の人間が権力や我欲を行使して多くの人を苦しめているのです。さらにそれがエスカレートして戦争やテロが激増し、安心して暮らせなくなっているからです。また、一部の人間の我欲をこらしめるために自然災害が多発し、ますます多くの人が苦しむことになっています。そのような人間を生み出した国民にも非があるのです。しかし、少しでも新たな地でやり直しができるようにと生まれた地を捨てさせ、過酷な避難をさせているのです。そしてその人たちを受け入れる側も、ある意味で神の愛がどこまで行き渡るかが試されているのです。難民をどれだけ受け入れられることを。

 

日本は難民の受け入れが他の先進国の中でも極端に少ない国です。本来ならばもっと受け入れてあげるべきなのですが、それをしないのは国のトップとそれに群がる政治家や企業、そして一部の特権階級がそうさせないのです。それらの人たちは自分たちの私利私欲しか考えていないため、何としても難民を受け入れないよういようにしているのです。本来ならば率先して受け入れるべきなのですが、いろいろと理由を付けて受け入れないのは財政面での問題を気にしているからです。ドイツやトルコが難民を受け入れているのは、難民を低賃金で使える労働者だと考えているからです。しかし、あまりにも多くなりすぎてさまざまな弊害が生まれてきています。そのためドイツの女性首相はその責任を迫られてやめることになったのです。善意で難民を受け入れているのではありません。トルコも同じです。日本は外国人技能実習生と言う名の元に多くの外国人を安い賃金で使っています。やっていることは同じなのです。アメリカも同じで、あまりにも難民が多くなりすぎたので今はそれを制限しているのです。

 

日本が本当に難民を受け入れるようになれば、神はその行いに対して大きな喜びを感じるでしょう。残念ながら今の政府には難民を受け入れる考えはみじんもありません。自分たちの利権と我欲しか頭にないのですから。せめて数百人の難民を受け入れてあげることができたなら、変わっていくでしょう。ボランティアを募れば多くの人が駆け付けてくれます。さほどお金もかからないでしょう。政府はただ単に自分たちの保身しか考えていないのです。今、日本がさきがけて難民の受け入れをしないと、難民の多くは行く先をなくし最後は絶望がすることになるのです。日本が本当の意味で世界をリードしていくのは、このようなことをしていくことなのです。残念ながら今の政府にはその気もないし、その重要性もわかっていません。野党も同じです。今の政治家は自分の利権と私利私欲しか考えていないので、一度リセットする必要があります。神はすでにそのリセットボタンを押しました。おそらくこの1、2年の間にほとんどの政治家は自滅するでしょう。それがどのような形でなるのかは神しか知りません。しかし、それは壮絶ものになるでしょう。今までの犯してきた悪行がすべてさらけ出され、そして人々をだましてきたことが明白になるからです。もちろんそれに関連してきた企業や組織、そして宗教組織も。

 

神の愛は単なる愛ではありません。時には厳罰を与えることで改心させることもあります。それは一重にその人の過ちを正す愛でもあるのです。それはすでに始まっています。

ページTOPへ戻る

電話する

お問い合わせ