2018年7月のれいこん通信は「ありがとう」についてです。
最近やたらと凶悪な殺傷事件が多発しています。それも不特定多数、「だれでもよかった」と犯人は口をそろえて言っています。偶然なのか、政治がお粗末なため?、一部の企業や人しか豊かにならない格差社会のせいなのか。さらには児童虐待や老人施設での虐待件数もウナギ登り。一体全体どうなってしまったのか、日本よ、日本国民よ。
幕末から明治にかけて、それまで鎖国状態であった日本に多くの外国人(特に西洋)が訪れました。
当時日本に旅行ができる人達ですから、かなり裕福で知識をそれなりに持っていた人であったことはまちがいありません。
彼らは日本各地を旅して、片田舎の庶民から江戸の町人、そして武士にいたるまで共通している日本人の特性を絶賛していたのです。
それも多くの外国人が。まずは礼儀正しいこと、まるで一国が礼儀作法学校のようであると賞する人もいたほどです。
逆に言えば世界広しといえども、当時の日本ほど一般庶民から武士に至るまですべての人が礼儀を尽くす国はなかったそうです。
そして、正直で簡素で清潔である。約束と時間を守る。
丁寧で勤勉で向上心が強い。
仕事を大切にする。
自然災害などすべてを受け入れる。
自然と一体化することを喜ぶなどなど。
さらに日本には貧乏人は存在するが、貧困は存在しないと称えています。
物はなくても心は明るく、前向きに幸せそうだと。
それは地上の天国であり、極楽であるとも伝えていました。
当時の西洋は一部の貴族などの特権階級だけが、礼儀や清潔さ、勤勉さなどを持ち合わせていたにすぎず、下層階級はその真逆な存在だったので、日本に来て驚いたのです。
このような150年ほど前までの日本人の感性や特性が育まれた要因はどこにあったのか。
それは日本人が元来、神仏を身近に感じ、敬ってきたことにあるようです。
そして神仏に生かされていることを幸せに思っていたからなのでしょう。
すべては神仏のおかげ、お天道様のおかげ。
自ずと謙虚さと慈愛が身に付き、感謝のこころと生かされているという気持ちが養われてきたのでしょう。
しかし特に戦後、アメリカのGHQの力によって日本人の根底にあった目に見えない神仏や魂を信じる考えが排除され、目に見える物だけを信じる意識改革を余儀なくされてきました。物とお金がすべてであると。
その結果が今の日本の惨状を招いていると言っても過言ではないでしょう。
物がすべてであると学んできた戦後生まれの人たちは物を追求するあまり、心を失っていったのでしょう。
人の欲には際限がありません。
物があればあるほどもっともっと欲しくなり、人を傷つけたり殺したりしてまでも手に入れようとするのです。
そして自分さえよければ、今さえよければという自暴的な考えに至っていくのです。
このままでは本当に日本は滅びてしまうのではないかと。
しかし、日本人には先の長年培ってきた日本人の特性のDNAがしっかりと受け継がれています。
一人でも多くの人が、感謝のこころと生かされているという謙虚な気持ちを取り戻していけば、きっと明るい未来はやってくるはずです。
この国を変えていくのは政治家でも官僚でもありません。
一人一人のちょっとした意識の変革にすぎないのです。
「ありがとう」を素直にそしてできるだけ多く、口を出して言ってみませんか。今日から、そして今すぐに。