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れいこん通信

れいこん通信No5 因果応報

19年08月22日

2018年5月のれいこん通信は因果応報についてです。

因果応報という言葉を辞書で調べると、「人は良い行いをすれば良い報い(むくい)があり、悪い行いをすれば悪い報いがある。『因』は因縁の意味で原因のこと。『果』は果報の意味で原因によって生じた結果や報いのこと。」とあります。因果応報は、もともと仏教の教えで、実は私たちに大切なことを教えてくれています。

世の中を見渡してみると、努力もせずに楽して成功しているように見える人もいれば、いくら努力しても苦労ばかりで報われない人もいるように見えます。
因果応報は本当にあるのでしょうか?それとも本当はそんなものは存在しないのでしょうか?きっとそれを科学的に証明することは不可能でしょう。
その結果を招いた原因が何であるかハッキリしないからです。
ただし、「野菜を収穫したければ、まず畑に種を蒔かなくてはいけない」ということは疑うことはないはずです。それは人の人生においても同じことがあるはず。

『良い人生を送りたければ、良い種をたくさん蒔かなくてはいけない』

京セラの設立者、稲盛和夫氏は著書「生き方」の中で因果応報について次のように書いています。
「因果応報の法則:善因は善果を生み、悪因は悪果を生む。30年40年というスパンで見てみると、ほとんどの人が日ごろの行いや生き方にふさわしい報果を、それぞれの人生から得ているのです。長い目で見れば、誠実で善行を惜しまない人物がいつまでも不遇にとどまることはないし、怠け者でいい加減な生き方をしている人がずっと栄えていることもありません。因果が応報するには時間がかかる。このことを心して、結果をあせらず、日ごろからたゆまず地道に善行を積み重ねるよう務めることが大切なのです。」
つまり、我々はそれを信じて善行を積み重ねていく努力をするしかないのではと。どうやら因果応報は、「あるか?ないか?」ではなく、「信じるか?信じないか?」ということのようです。

仏教ではさらに前世の善悪の行為(カルマ=業)が今世に返ってくるといわれています。
何のために生きているのか、人それぞれにちがいますが、すべての人が何らかの形でカルマを解消するために生きているのです。
因果応報は相手の立場になってみる方法ともいえます。
私たちは人の心の中を知ることはできません。
わからないからいつ人を傷つけてしまったかもわからないのです。
それを知るには自分も同じような体験をするしかないのです。
傷つき苦しむことで魂は成長して行きます。
苦しみとは己の思い通りにならないこと。
人は幾度も苦しみを体験することで、思いを強く持つと苦しくなることを学ぶのです。しかし、思いがなければ人として成長しません。
この思いをどのように持つかがとても大切なのです。単に自分の自己満足のための思いと、利他心からの思いとでは異なっています。
そのちがいを知るためにいろいろと苦しいことを体験するのです。
利他心からの思いは人を幸せにして、心を明るくさせます。
利己心からの思いは人を不幸にして、心を暗くさせます。これが目安となります。
今、目の前にある苦しみ(病気も含めて)は、前世のカルマによるものかもしれません。詳細はわからなくても否定するのではなく、受け入れていくことがカルマの解消につながっていくのでしょう。

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