漢方コラム

お問い合わせ

れいこん通信

れいこん通信No20 人の終わり

19年08月22日

2019年8月のれいこん通信は人の終わりについてです。

人は生まれ、そしていつかは死にます。当たり前のことですが、今、多くの人は死についてあまり深く考えようとしません。
なぜなら死んだ後、どうなるのかがよくわからないからです。しかしいずれ死ぬのであれば、生きているうちに死について、そして死んだ後どうなるかについて、しっかり考えておくべきでしょう。

人が生まれてくるのは、いろいろなことを実体験するためです。
魂は一種のエネルギー体なので、実体がありません。したがって思ったことは何でもできて、痛みを感じたり、苦しい思いをすることがありません。
ある意味で空気のような存在だからです。空気は目には見えませんが、水の中に入ればその存在をしっかり認識することができます。苦しくなるからです。
魂はどのように生まれ、どこから来たのか。そのことについてはいろいろな宗教が伝えていますが、やはり神から生まれてきたのでしょう。
人は神の子であると言われるゆえんです。幾多の宗教があり、幾多の神がいます。しかし、その元となる神は一つでしょう。おそらく名前も形もない存在でしょう。
その神から何世代にも分かれて、私たちの魂は生まれてきたのです。何のために、それはいろいろなことを体験するために。先にも伝えたように、魂は実体験をすることができません。肉体を持つことで痛みや辛さ、そして感動をすることができるのです。
高い山を登るには、苦しい思いをします。しかし、頂上にたどり着いた時の感動は言葉に言い表せない思いを体感するでしょう。魂だけでは、瞬時に頂上に行けてしまうのです。肉体を持つことで初めて、苦しさと感動を実感できるのです。

苦しい思いがあるからこそ、感動や幸せを感じられるのです。
幸せな状態ばかりが続くと、幸せであることがわからなくなってしまうのです。
災害に出合うことで、電気や水が当たり前に使えることの幸せを感じることができるのです。私たちは普段から当たり前にあると思い込んでいる物がなくなった時に、初めてそのありがたみを実感します。
当たり前にあることを、勝手に思い込んでいるだけなのです。水や空気、そして平和、どれも当たり前ではないのです。
しかし、慣れてくるとついつい忘れてしまうのです。そのことを忘れないようにさせるために、時々自然災害や戦争が起こると言ってもいいでしょう。

魂はある意味で、本当の幸せを実感するために生まれて来るのかもしれません。
しかし、人の体は長くもっても100年しかもちません。そのために何度も生まれ変わってくるのです。そしていろいろなことを体験するのです。
ただ魂は同じなので、前世でやり残したことやできなかったことを今世に引き継いでいるのです。時には、前世で体得した知識や技術を今世に活かすこともあります。芸術家や音楽家で、子供の頃から天才的な才能を持っている子供は、前世で身に付けたものを今世に活かしているのです。

魂には、今まで生きてきたすべての記憶が刻み込まれているのです。そして時にはそれをうまく活用してより極めていくのです。生まれ変わることで、少しずつ成長していくのです。その成長がある程度の域に達すると、もう生まれ変わることもなくなり、神の元に帰っていくのです。それを昇華(ショウゲ)と言います。だれもが最終的には昇華することが、最終目的なのです。

魂は生まれ変わるたびに、いろいろな感情を刻み込んでいきます。特に怒りや苦しみ、不安や恨みなど。そのマイナスの感情は、魂をくもらせていくのです。
くもりが強くなると、魂はとても重くなっていきます。
重くなると上に上がりにくくなるのです。上とは神に近い所です。いきなり神の元に行くわけではなく、何段階もの層があり、まずは魂が安定した状態でいられる所に上がります。それを霊界と呼んでいます。
霊界も何層にも分かれているのですが、一番下の層を幽界と言います。幽界もさらに何層にも分かれているのですが、私たちの世界と隣り合わせにある世界が幽界の一番下になります。この世界にいると、私たちの世界といつも行き来ができるのです。それが俗に言う所の幽霊となって現れるのです。

マイナスの感情、つまり執着が強いと上に上がることができずに、人たちの世界と幽界を行ったり来たりすることとなり、時には人に取りついたりするのです。
最近、事故や事件が多いのはそのせいでもあるのです。なぜなら、幽界は本来なかったのですが、人の執着が強くなってきたため、上に上がりたくない魂たちが勝手に作り出してしまったのです。
しかし、それでは魂が生まれ変わることができなくなってしまうため、神の力によって消滅させられてしまったのです。
そのため、そこにいた魂は上に上がることができないため、人の世界に入り込んできて、自分と同じような感情を持っている人に取りつき、自分ができなかったことを人の体を借りてやっているのです。
この傾向はしばらく続くでしょう。

しかし、このようなことがいつまでも続くと、ますます魂はさ迷うことになります。そこでいよいよ神の力によって、我欲に満ちた魂は消滅させられる段階になってきたのです。
本来魂は不滅なのですが、人類が誕生して数十万年がたち何度も生まれ変わってきたのに、一向に昇華しない魂に対して最後の神判が下されるようになったのです。
すでにそれは始まっています。私たちには見えない所で。
そして私たちも同じように神判が下される時が来たのです。そして、それはやはり始まっているのです。我欲の強い人は病気やケガ、事故、さらにはいろいろな形で苦しむようになっています。
その苦しみの中から、自分の我欲に気づける人は解放されるでしょうし、気づかなければますます苦しくなっていくでしょう。気づくことができるかどうかが、今後の課題となるでしょう。
今、いろいろなことで苦しんでいることがある方は、自分の我欲がどこにあるのかをゆっくり考えてみるとよいでしょう。
わからなければ、私がそれを見つけるためのお手伝いをさせていただきます。

人は生きている間に、多くの我欲をどれだけ捨て去ることができるかが、大きな課題となります。
我欲を持ったまま死んでしまうと、魂に染み付いた我欲はなかなか取ることはできないのです。
よく成仏という言葉を口にしますが、死んでから成仏するのではなく、生きている間に成仏することが本来の姿なのです。
成仏するとは、すべての我欲を捨て去ることです。なかなかできることではありませんが、まずは物に対する執着を少なくすることです。
断捨離は、物に対する執着を少なくするための第一歩となります。そして、すべてに対して感謝する心を持つこと。
これによって生きている間に、成仏ができるのです。
私もまだまだで、我欲を捨て去ることはできません。少しずつ、そして確実にやっていきたいと思っています。

最後になりますが、この「れいこん通信」もこれで一区切りさせていただきます。
この1年と半年と少しの間、読んでいただきましてありがとうございます。
すこやか新聞「つつじ」のエネルギーシリーズも同じく、終了させていただきます。目に見えない世界を探求してきましたが、いかがでしたでしょうか。
次回より、この通信は「みらい通信」となります。
これからの時代の在り方や、どのような社会になって行くかをお伝えしていきます。お楽しみにしていてください。

ページTOPへ戻る

電話する

お問い合わせ